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2011年8月29日月曜日

ヴァンセンヌ城

またまた1ヶ月も開いてしまいました><
「更新してるかな?」と時折覗きに来て下さってる方々には
本当に申し訳ない気持ちです。。。

ところで今日は、パリの東にある
ヴァンセンヌ城のお話など、ちょっとしてみますね!
というのも、実は本日
パリのバスティーユ界隈にあるレストランでランチをした後
「近いからヴァンセンヌ城でも行ってみるか!」という
ただそれだけの理由で行ってみたんですね^^;

この地味ぃ~なお城、マリー・アントワネットには何の関係もないので
当初ブログに載せるつもりもあまりなかったのですが
ところがどっこい!!!
なーんと、マリー・アントワネットに思いっきり纏わる『あるもの』が
こんな所にあったんですっっ!!!

その『あるもの』を語る前に
(別に焦らすわけじゃないのですが^^;)
まずはヴァンセンヌ城というお城について
沿革から簡単に語っていきますね!


ヴァンセンヌ城は、パリの東、その名もヴァンセンヌという街にあるお城です。
ちなみに城のすぐ脇にある『ヴァンセンヌの森』は
ギリギリパリ市内に入るのだそうです。
お城と言っても、中世時代の城砦なので
いわゆる絢爛豪華な宮殿のイメージとは程遠いです。
だから地味ぃ~なんですよ^^;

このお城は、1150年頃、時の国王ルイ7世が
ヴァンセンヌの森での狩猟の際に滞在するための館として
建てられたことに始まります。
その30年後くらいには、後続の国王の住まいとしての機能も持つようになったものの
この地が城砦として拡充していく中で
館は17世紀以降、次第に解体されていき
現在は何も残っていません。

一方、1337年、国王フィリップ6世によって
館のすぐそばにドンジョン(主塔)の建設が開始されました。
工事は1373年に完成し
フィリップ6世の2代後の国王であるシャルル5世は
このドンジョンをメインの建造物として
周囲に9つの塔を備えた長方形の城壁を張り巡らせました。

これらの建造物の他、サント・シャペル(シテ島のサント・シャペルをモデルにして
シャルル5世が造らせたもの)、そして17世紀にルイ14世が造らせた
王の館と王妃の館と呼ばれる2棟の建物などが
現在ヴァンセンヌ城として、残っています。

しかしメインの見学は、何と言ってもドンジョンです。↓

ドンジョン
















高さ50mのドンジョンは、石壁と堀でぐるりと取り囲まれています。
つまり、9つの塔を持った城壁の中に
また更にドンジョンを守る城壁があるといった具合です。

左手にあるドンジョンの周囲を巡回路を持った石壁が取り囲み
更にその周りを堀がぐるりと囲んでいる
















正方形をしたドンジョンの中は、シャルル5世の会議室や寝室
小礼拝所などがあるのですが
16世紀以降には、このドンジョンは主に牢獄として使用されていました。
ここに幽閉されていた囚人が壁に描いた絵が、現在でも残っています。

囚人が壁に描いた絵
何の建物かわからないけど、結構上手な絵ですよね^^;
















ここに入れられた囚人たちの中には、結構有名人もいるんですよ!
例えば、ルイ14世にヴェルサイユ宮殿を建設させるきっかけとなる
『嫉妬心』を与えたニコラ・フーケや
『百科全書』で有名なドゥニ・ディドロ
また、ベルばらでロザリーを買春しようとした(!)あのミラボー伯爵も
1777年から1780年まで、このドンジョンに幽閉されていました。

「マリー・アントワネットに纏わる『あるもの』って、ミラボー幽閉所ってこと?!」
いえいえ、そんなちょっとガッカリなオチではありませんので、ご安心を^^;
ではいよいよ、その『あるもの』を大公開!!

この扉は一体・・・?!



















はいっ!上の写真の扉が、マリー・アントワネットに纏わる『あるもの』なんです!
実はこの扉、ル・タンプルでルイ16世一家が幽閉されていた部屋についていた
扉なんですって!もちろん本物ですよー。
これ、ナポレオン1世がル・タンプルを取り壊す前にヴァンセンヌ城へ持って来て
ドンジョンの1階部分に取り付けたのだそうです。
こんな分厚い、いかめしい扉の中に
マリー・アントワネット達は閉じ込められていたのですね・・・。

上記した通り、ル・タンプルの敷地内にあった建物は全て
ナポレオンによって解体されてしまい、現在では何1つ残っていないため
ル・タンプルにあったものが見られるって、ケッコー貴重かな、なんて思い
ちょっと感動でした^^

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