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2011年11月27日日曜日

Hさんのご質問④

2ヵ月も間を空けてしまいました(>_<)
「更新されてるかな?」と時々覗きに来て下さってる皆様
本当にごめんなさい!!
&忘れないでいて下さってありがとうございます<(_ _)>

また、この間に読者登録して下さったにゃんすけさん、どうもありがとうございます!!
折角ご登録頂いたのに、更新せずに失礼いたしました。。

今日は、Hさんのご質問④です!
ご質問頂いてから随分時間が経ってしまっています(>_<;)

そのご質問とは・・・

④プチトリアノンに出入りを許された人物とは?
ポリニャック公爵夫人、エリザベート内親王の他にわかる方がいましたら
教えて頂けませんでしょうか?」
でしたね。
その前に、プチ・トリアノンについて簡単にご説明しておきます。 

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トリアノンとは、そもそもこの地に存在していた村の名前です。
1668 年にルイ14 世がこの村を買い取り、ヴェルサイユの領地に併合しました。
その二年後、ここに青と白の磁器版に覆われた小さな館を建設したのですが
この磁器版は大変脆く、すぐにはがれ落ちてしまったそうです。
そこで、1687年に館の建て替えが行われ
今度はピンク色の大理石装飾による館に生まれ変わりました。
これが現在“グラン・トリアノン”と呼ばれる離宮です。

もっとも、マリー・アントワネットはグラン・トリアノンを
あまり重要視しなかったようで
ここには彼女の面影はほとんど見られません。
王妃は、それよりもずっと小規模な館である“プチ・トリアノン”を
こよなく愛しました。
そのプチ・トリアノンは、グラン・トリアノンから歩いて数分の場所にあります。
1763 年、国王ルイ15 世の当時の愛妾であった
ポンパドゥール侯爵夫人の願いにより
国王は建築家アンジュ・ジャック・ガブリエルに小さな城館の建設を命じました。
しかしながら、夫人はその完成を見ることなく
翌年42 歳でこの世を去ってしまいます。
それでも建設工事は続けられ、1768 年についに終わりを告げます。
ポンパドゥール夫人の後に国王の寵姫の座を占有したデュ・バリー夫人は
この新築の館を手に入れましたが、王の昇天によって
当然のことながらその所有権を失い
館は新たに国王に君臨したルイ16 世の手に渡ります。
そして彼は即位後すぐ、王妃であるマリー・アントワネットに
この城館を贈ったのでした。

王妃は、ここでは一切の宮廷儀礼は無し、
そして彼女が招待した者以外は足を踏み入れることができないという
自身の自由を完全に確保した場所としました。
夫であり、国王であるルイ16世ですら、妻の許可無く
勝手にプチ・トリアノンへ入ることはできなかったのです。


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というわけで、マリー・アントワネットが出入りを許可した人物はといいますと・・・

ヴィジェ・ルブラン画(1782年)
「ヨランド・ガブリエル・マルティーヌ・ド・
ポラストロン ポリニャック公爵夫人」
(ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)

 



言わずと知れた
王妃の親友ポリニャック夫人。










フランソワ・パスカル・シモン・ジェラール画(1825年)
「正装姿のシャルル10世」
(プラド美術館蔵)





マリー・アントワネットの義弟で
後のフランス国王シャルル10世となるアルトワ伯爵。













ルージェ・ジョルジュ画(1825年)
「マリー・アンリ・フランソワ・ド・フランケト、コワニー公爵」
(ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)


コワニー公爵。
マリー・アントワネットの側近の一人として有名な人物です。
王妃の恋人というと、フェルセンをすぐ思い浮かべると思いますが、実はコワニー公爵との噂も存在したそうです。








ヴィジェ・ルブラン画(?年)
「アドリアン・ルイ・ド・ギネス公爵」
(所蔵先不明)




ギネス公爵。
王妃の側近の一人。










アンリ・ピエール・ダンルー画(1791年)
「自身の客間にいるブーザンヴァル男爵」
(ナショナル・ギャラリー蔵)




ブーザンヴァル男爵。
王妃の側近の一人。










そして肖像画は無いのですが
ヴァランタン・エステルハージ伯爵という人物も
王妃の「内輪の会」に入っていたメンバーですので
まず間違いなくプチ・トリアノン出入り許可をもらえた人物でしょう。

余談ですが、彼は、1770年3月に
間もなくフランスへ王太子妃として輿入れする
マリー・アントワネットが待つウィーンまで
ルイ・オーギュスト王太子の肖像画を届けに行ったりしてます。

もう一つ、さらに余談ですが
上記のコワニー公爵、ギネス公爵、
ブーザンヴァル男爵、エステルハージ伯爵の4男子は
1779年3月31日に、マリー・アントワネットが麻疹にかかって
寝室に隔離された際
王妃の枕元で看病するのを当然の権利として主張し
隣室に寝泊りしながら、王妃の要求にすぐさま応える
『王妃の看病役』を担ったとか。
この時、王妃は夫のルイとは
バルコニー越しで会話したそうです・・・。


作者不明(?年)
「ハンス・アクセル・フォン・フェルセン」
(リンシェーピン・ロフスタッド城蔵)



そして忘れちゃいけません!
フェルセン伯爵。











以上の人物は、王妃のプチ・トリアノン滞在時の様子を語る記述に
名前がよく出てくる人物ですので
出入りを自由に許された人物、
要はプチ・トリアノンの主要メンバーと考えて
まず間違いない人たちです。

その他、プチ・トリアノン出入りOK組に入った人物については
また次回にお話しますね!

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