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2018年11月12日月曜日

マリー・テレーズ王女の替え玉?!ルイ16世の私生児?!①

こんにちは!

前回の投稿「マリー・アントワネットのドレスはどこに収納されていた?」のコメント欄に、マリー・アントワネットの娘、マリー・テレーズがお好きでいらっしゃるsara様から、エルネスティーヌについて教えて欲しいとのコメントを頂戴いたしました。
彼女についてはあまり情報が無く、調べるのにちょっと時間がかかってしまいましたが、一応下記のような記述を見つけましたので、2回に渡ってご紹介いたしま~す(^-^)

まずは、「エルネスティーヌって一体誰?!」という方がほとんどだと思いますので、この人物についてお話いたします。

1778年7月31日、父・ジャック・ランブリケと母・マリー・フィリピーヌ・ノアロとの間に生まれた女の子で、マリー・フィリピーヌ・ランブリケ(名が母親と同じなのでややこしいですが^^;)が出生時の名前になります。
1788年4月30日、彼女が10歳になる年、王女マリー・テレーズ(ルイ16世とマリー・アントワネットの長女)の部屋付き侍女であった母親が亡くなったのを受け、マリー・フィリピーヌ・ランブリケは、王妃マリー・アントワネットによって養女にされました。その時、名前を「マリー・フィリピーヌ」から「エルネスティーヌ」と王妃に改名され、以後、「エルネスティーヌ・ランブリケ」と呼ばれます。
偶然、王女マリー・テレーズと同い年だったため、二人は本当の姉妹のように仲良く過ごしました。
エルネスティーヌはポリニャック家で暮らしながら、マリー・テレーズと同等の扱いを受けたと言われます。

フランス革命が起こり、国王一家がチュイルリー宮殿へ移された際にも、エルネスティーヌは一家と共にチュイルリー宮へ連れられています。
1791年6月20日、国王一家がモンメディへの逃亡に出発するにあたっては、父親のジャック・ランブリケの元へ託されたという説と、パリのサン・ジャック通りにあるサント・マリー修道院に身を寄せたという説があります。いずれにしても、逃亡が失敗に終わり、一家がチュイルリー宮殿へ戻ると、エルネスティーヌも宮殿へ戻りました。

…というのがエルネスティーヌの出生からの生い立ちなのですが、彼女がこの世に名を残しているのは、実は彼女は国王ルイ16世の私生児であるという説があることと、この後王女マリー・テレーズとすり替わって、彼女がアングレーム公爵夫人になったという、二つのビックリ説があるからなんです!!

では私生児説から見ていきましょう!
オフィシャルには父親は上記した通りジャック・ランブリケです。エルネスティーヌ(出生時は先に述べたようにマリー・フィリピーヌ・ランブリケという名前ですが、ややこしいので彼女のことはエルネスティーヌで統一します)の出生証明書は現存しており、ヴェルサイユのサン・ルイ地区で、父親はジャックであるとした出生記録が残っています。
しかし主にドイツで、エルネスティーヌは宮廷で小間使いをしていたマリー・フィリピーヌ・ノアロとルイ16世との間に産まれた子だという説を唱える歴史家がいるようです。ルイ16世が包茎手術をした後、❝手術の効果を確かめるために❞、小間使いを相手に試してみたところ、効果抜群で小間使いを妊娠させてしまったと!そして産まれたのがエルネスティーヌだというのです。つまり、マリー・テレーズとは腹違いの姉妹ということになりますね。
それを証明するものはいろいろあると言われていますが、私が見つけた記述としては、

①マリー・テレーズとエルネスティーヌが瓜二つだから。(父親が同じだからこそ瓜二つであると?)
②ジャック・ランブリケはオルレアン公(または国王のどちらかの兄弟)の下僕をしていたのですが、他の同職者より厚遇されていたから。(奥様を寝取った慰謝料?)
③母親が亡くなってエルネスティーヌは養女にされたが、エルネスティーヌの弟、オーギュスト・ルイ・ランブリケは養子にしてもらえなかったから。(弟には王族の血が流れていないから?もしくは王族の血が流れている姉が優先だから?)

といったものが挙げられていました。私個人としては、どれも決定打に欠ける主張に思えますが…^^;

例えば①は、残されている肖像画を元にした主張のようですが、エルネスティーヌの肖像画として残されているものは一つしかなく、それがもしかしたらマリー・テレーズを描いた肖像画である可能性も否定できないそうです。
②に関しては、実際にジャック・ランブリケがどれほど他の人より高い賃金を受け取っていたのかがわからないので、何とも言えず。ただ、王族に仕える者が他者より厚遇される理由は、コキュ(寝取られ夫)にされた時に限った優遇措置とは思えないので、決定的な理由ではないですよね。
③ですが、確かにエルネスティーヌは、母親が亡くなった直後に王妃から養女にしてもらった上、1200リーヴルのお金まで与えられています。弟も何かしらの恩恵を受けたという情報は何も無いので、何故姉だけがこれだけ良くしてもらえたのか不思議ではあります。
ただ、エルネスティーヌ以外にも、王妃が養子・養女にした孤児はいるようですし、また私の勝手なイメージではありますが、ぶっちゃけマリー・アントワネットは、その時々の気分や気持ちで養子にしてみたり、恩恵を授けたりしていたのではないかと思うんですね。あんまり深く考えず、キリスト教の慈悲の概念に基づき、「身近に孤児になった子がいる」→「養女にしてあげましょう」で、エルネスティーヌを養女に迎え入れた。しかし彼女に弟がいることや、姉だけに温情を与えたら弟が不憫だとか、そんなことまでいちいち考えなかったのだろうと思います。娘とエルネスティーヌがすでに仲良しだったので、養女にする前からエルネスティーヌには親しみや愛情を持っていたのかもしれません。弟が養子にされなかったから、すなわちエルネスティーヌは国王の私生児とは、直結しないように思います。

それにそもそも…ですが、「ルイ16世は包茎手術をしたか否か?」にも書いた通り、国王は包茎手術をしていないというのがどうやら正しいようですから、『術後の確認作業』というのが、そもそも怪しいワケです^^;
しかも何故その作業を王妃ではなく、小間使いとしたかというのも変な話です。まあ、男と女のことですから、『その場の諸事情』といったものがあったと言われれば、それまでですけどね(^_-)

では、次にマリー・テレーズとエルネスティーヌのすり替わり説について見ていきます。「マリー・テレーズ王女の替え玉?!ルイ16世の私生児?!②」を、お楽しみに!!(^O^)/



14 件のコメント:

  1. 更新ありがとうございます。
    嬉しいです。お待ちしておりました。
    マリーテレーズと瓜二つの少女の秘密なんて少し不謹慎にもこころ引かれますよね。
    肖像があるのははじめて知りました。
    見たいのですが、ネットで見れますか?

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  2. sara様

    早速にコメントありがとうございます!!
    それだけお気にかけて、待っていて下さったのですね(ToT)
    本当にありがとうございます(^O^)

    エルネスティーヌの肖像画、ネットで出て来ましたよ!
    ただ、果たしてこれが本当に唯一残されている彼女の肖像画なのかはっきりしなかったので、「これです!」と言って掲載しなかったのですが、少なくとも集めた情報の中では、彼女の肖像画は存在するみたいです!

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  3. お返事ありがとうございます。
    ウ~ン、ランブリケに他のこどもがいたのも初耳です。エルネスちゃんだけ優遇とはおかしいなあと思います。私はアントワネットが最初からテレーズの代わりにしようと画策したのかしらなんて思ったり。自分と姉の関係を娘に与えたかっただけなのかなと思ったりしてました。前に肖像をどうしても見たくて探したのですが見つかりませんでした。どうやってヒットさせましたか?わかれば教えてください。よろしくお願いいたします

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  4. sara様

    ランブリケ家には4人の子供ができたようです。
    長女はルイーズ・カトリーヌ・ランブリケで1776年生まれ。翌年逝去。
    次がエルネスティーヌ。
    三女のエミリー・マリー(フィリピーヌと書かれているものも)・ランブリケ。1780年生まれで、翌年逝去。
    そして長男のオーギュスト・ルイ・ランブリケです。
    結局成人にまでなったのは、エルネスティーヌとオーギュスト・ルイだけですけどね!

    エルネスティーヌ優遇の意図、いろいろ想像は膨らみますよね!
    不可思議だからこそ、後にいろんなミステリアスな説が出て来るのでしょうね^^

    肖像画、https://alchetron.com/Ernestine-Lambriquet
    ↑の絵なんですけど、これ、よくよく見たらやっぱりマリー・テレーズですね(汗)実際の絵は、マリー・アントワネットがマリー・テレーズとルイ・シャルルを連れて歩いてる絵で、一部が切り取られてるだけでした。マリー・アントワネトの手も見えてるし(*_*)
    他の絵を探しましたが、やはりおっしゃる通りヒットしませんね。
    ただ、版画で一点だけ残されてるようなんですが…。どこにあるんでしょう?

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  5. そうですね、私も見たいです。私もこのエルネスが途中からぱったり出てこなくなるので頭がなんでとなり興味をもったのが最初です。テレーズ王女はポーリーヌとは親しい記述があるのになぜこの姉妹同然(というか姉妹)のエルネスを無視するのか
    そして、オーストリアがテレーズにエルネスの同行を求めたのが不思議でした。関係ないと思うのに。
    そして、アントワネットは最後のほうはシャルルばかりでテレーズを気にかける話があまりない。エリザベート王女はテレーズに色々教えたという記録をよんだことがあるのになあ。いくら息子とられても娘(それも年頃)について何も思わないのはなんかへんですよね。そして、もっと変なのはよりによってアントワネットがあまり好きではなかったスシー夫人にエルネスを預け永遠に愛し合うし、命をまもるように頼むと。どれが、テレーズをオーストリアに連れて行く役目だし、夫は革命側だったようなきがする。
    この辺すごく怪しいのです。でも、一般的にはオーストリアに行くときに入れ替わったと思われているようですが、私はアントワネットがテレーズをエルネスとして自分たちとは別のところに出し保護したのではとおもっています。そして、オーストリアにいざ行くときかその辺でスシー夫人らにより入れ替わり本物のテレーズがオーストリアにいったのではと考えております。そのように考えるとテレーズが弟の死をはっきり分らないのもアントワネットが娘を忘れているのもつじつまが合う気もします。アントワネット以外からすればエルネスは血縁なので。私の想像では、ルネットが入れられる前ぐらいではと思います。声が出なくなったのは、タンプルではなくどこかに隠れ住んでいた(屋根裏とか)で音を出さない生活をしていたからなのではと色々考えております。
    すみません、熱くなりすぎました(笑)
    つづき楽しみです。

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  6. sara様

    おぉー!!お好きなだけあって、マリー・テレーズ周辺はとってもお詳しいですね^^

    saraさんはエルネスティーヌは本当にルイ16世の子とお考えのようですね?もし良かったら、どうしてそう思われるのか教えて頂けますか?(^_^)

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  7. 大好きなので語ってしまったのにお付き合い頂きありがとうございます。エルネスがルイ16世の子だと私は思います。それは有り体いえばありそうな話だと言うこと、ルイ16世はポリニャック夫人とも関係があったと言うしない話ではないのかなと思っています。あとはテレーズ王女と同じ扱いを受けて教育された所、割りと金がかけられています。また、エルネスの存在を後のブルボン家が敢えて無視しているのが気になるのです。幼少の時共に暮らしているのに完全無視は変です。テレーズが絡んでいるなら父親受難王の名誉のためかと思ったりします、後世彼には愛人がいないとイメージがつきました。またねルイシャルルはフェルゼンのこかと言われていますし、16世も我が子と同じようにみたいな自分の子ではないようにも取れる文章を残しています。この子についてすんなりルイ16世が認めたのは最初に自分の子エルネスをみとめてもらったからではと思っています。また、革命段階でもエルネスが家族同様に途中まで共にしているのはおそらく事実だと思います。単に王女の相手であれば父親なりの所にかえるが引き取られるはずです。そして、何故か関係のないマコーのいえに身を寄せ男やもめ途中まで結婚して王政復興前に死亡と上手く裂けているなあなんて思います。じつはエルネスがいわゆるソフィーポッタなのではと私は思ってもおります。ブルボンの血をひいていたので何らかの庇護を受けたのではと
    すべて私の妄想ですが、どう思われますか?

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  8. sara様

    ご意見お聞かせ頂き、どうもありがとうございます!!
    なるほどー!あらゆる角度から分析されていますね(^O^)
    パート2がありますので、まだいろいろ書けませんが
    列挙して下さいました根拠が、史実としてある程度信用できるソースかの判断が、私もまだまだ勉強不足のため難しく、なんとも言えないのが正直なところです(汗)
    ただ、ソフィー・ボッタが実は…というのは、有り得そうな気がします(≧◇≦)

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  9. 私の勝手な妄想を聞いて下さってありがとうございます。もういろいろ考えます。アントワネットとフェルゼンのことも。なんでアントワネットがテレーズの肖像画をフェルゼンにあげたのかとか。
    考えることはいっぱいです。
    今週はアントワネットのミュージカル見に行くので
    自分でも盛り上がっています。
    更新楽しみにしております。それまで我慢します。
    書きたいことや聞きたいこともいっぱいです。また、お付き合いくださると嬉しいです。
    迷惑だったら言ってくださいね

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  10. sara様

    迷惑だなんてことはありません!!
    沢山コメント書いてくださって、こちらこそありがとうございます!!

    マリー・アントワネットのミュージカルをご覧に行かれるのですね?!(*'▽')
    楽しんでいらしてくださいね!お時間がありましたら、ご感想などお聞かせください^^

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  11. こんばんは、ミュージカル行ってきました。
    やはりすばらしい世界観でうっとりです。
    アントワネットの美しさ、優雅さ、悲しみ、せつなさと色々感じました。美しいフェルゼンとの愛、家族との愛とアントワネットの愛情あふれる性格を強く感じました。彼女ってお姫様だなと思うのですよね、本当に。まるでおとぎの国の人みたいです。でも、現実なのですよね、妖精みたいな魅力は本当に人をひきつけますね。
    しかし、王妃として死に臨む彼女はまさしくハプスブルグのテレジアの風格を感じます。この人は生まれながらの王族なのだなと。娘テレーズにはない魅力です。まるで夢のような人なのに、悲劇的という二面性に不思議な感慨を覚えるのです。
    私的には、フェルゼンという人がなぜアントワネットをあんなにも愛したのか不思議でなりません。二人って性格違いすぎるから。
    でも、今日の舞台の中にアントワネットの台詞で納得。
    「あなたは分ってくれる、違う考えでも」
    ニュアンスですが、フェルゼンの包容力にアントワネットは引かれていたのでしょう。フェルゼンは、彼女の素直で人の良い性格と自由な心に引かれ愛したかなと思いますが、恋とは不思議ですね。
    こんなに違う二人こんなにも惹かれあい、いつまでも心に残るなんて。Kayo様は二人の恋愛をどう思いますか?

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  12. sara様

    コメントの公開が遅くなって申し訳ありませんでした。

    ミュージカルご堪能されたようですね(*'▽')
    マリー・アントワネットとフェルセンの恋愛ですか…(≧◇≦)
    私の個人的考えとしては、マリー・アントワネットはフェルセンの『エスプリ』に惚れ、革命の最中にあっては頼りがいのある男らしさにも惹かれていたのかななんて思います。
    スウェーデン王家にも近い由緒ある家柄出身ですから、それ相応の教養は身につけていたでしょうし、欧州各地を周って様々な知識と文化を更に吸収し、当時の貴族男性の評価を決めるエスプリに飛んだ話術と様相を兼ね備えた人だったのではないかと思うんです。
    恐らくルイ・オーギュストも、同等の教養や知識はあったと思うのですが、後者のエスプリの部分が欠けていたのではないかと。だから、インテリジェンスを感じる巧みな話術や、スマートな物腰と女性への扱いができるフェルセンに、マリー・アントワネットは惹きつけられたのかなと思います。
    そして革命期は、兎角決断力に欠ける夫に比べ、サクサクと逃亡計画を練り、命をかけて自分を守ろうとしてくれるフェルセンの男気に頼りがいを感じ、心を委ねていたのではないかと考えます。

    フェルセンはというと、saraさんのご意見に同感です。彼はマリー・アントワネットの素直さ、自由で伸び伸びした性格や茶目っ気のあるところに魅了されたのかなと思います。

    あともう少しで「マリー・テレーズ王女の替え玉?!ルイ16世の私生児?!②」が書き終わりますので、ご期待下さいね^^

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  13. お久しぶりです。
    新しい情報だったのでちょっとビックリしました。
    ルイ16世の子供ですかね?私はあんまり思わないのですが・・・。

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  14. ロココ様

    ROCOCOさんですよね?お久しぶりです^^
    忘れた頃に更新とかしています^^;;

    今となっては証明するのもほぼほぼ不可能でしょうからね・・・。
    永遠のミステリーですかね^^;

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