depuis Janvier 2011

2011年1月26日水曜日

マリー・アントワネットにまつわるエピソード②

momoさん、UEMURAさん、Paolinaさん、そしてla_pichoune38さん!
読者登録して下さって、どうもありがとうございます(^o^)/
一気にこんなに読者さんが増えて、本当に嬉しいです!!
楽しんで頂けるようなブログにしていこうと思っていますので
これからも宜しくお願いしまーす♪


今日は、『マリー・アントワネットにまつわるエピソード 第二弾!』です^^
前回は、世界的に有名なエピソードについて書きましたが
今回は反対に、ほとんど知られていない
ものすごくマイナーなエピソードのご紹介です~。

жжж

マリー・アントワネットと夫ルイ・オーギュストは
1770年に結婚して、共に1793年に亡くなるまでの23年の間に
4人の子供を儲けました。

第一子にあたる長女、マリー・テレーズは
1778年12月19日に誕生しています。
すなわち、結婚して8年の月日を経てから
一人目の子供が生まれたということですが
この時代、国王もしくは王太子の妻というのは
子供を、特に王太子を産むのが責務であったわけですから
結婚して7年経っても、まだ妊娠できないでいたというのは
その当時、フランス宮廷ではかなりの問題でした。

原因は、実は夫ルイ・オーギュストの方にあり
彼が手術を受けたことで
しばらくして、めでたく王女ができたんですね。

しかし、第一子を妊娠するまでは
王妃という立場上
マリー・アントワネットには、相当なプレッシャーがかかっていたのは明らかで
あるエピソードからも
本人が、早く王太子を持つことを望んでいたというのが
とてもよくわかります。

そのエピソードとは・・・

1776年8月5日、
国王ルイ16世(マリー・アントワネットの夫ですよ~)の
3歳下の弟、アルトワ伯爵の妻が
二人目の子供を出産しました。
女の子だったとはいえ
一人も子供を産めずにいる王妃マリー・アントワネットにとって
本来、親族としておめでたいこの知らせも
手放しで喜べるような心理状態ではなかったようです。

その数日後、マリー・アントワネットが
ヴェルサイユ近隣のとある村を、馬車で横断していたところ
王妃の馬車が、危うく村の子供を轢きそうになるという
ハプニングがありました。
近くの民家の前にいた、子供の祖母が
『その子はうちの子です!』と大声で叫びながら
血相を変えて馬車の方へ駆け寄って来ました。

『この子の母親はいるのですか?』
と王妃が老婆に尋ねると
『いいえ、マダム。私の娘は去年の冬、5人の子を私に残しつつ亡くなりました』
と答えました。
すると王妃は
『この子は私が引き取ります。他の子供たちの面倒もなんとかしましょう。
それでよろしいですか?』
と子供の祖母に言ったのです。

しかし、この子供、年は3歳でブロンドの髪をしたジャックという名の子供だったそうですが
この子自身が、王妃の言った提案に反対であったようで
王妃とその場にいたお付きの婦人方に
なんと足蹴りを食らわせたというのです。

それでも、王妃はジャックを連れて帰ることにし
実際、王妃がボロ服を着た小さな男の子と一緒に
王宮へ戻って来たのを見た宮廷人は
それはそれは驚いたということでした。

その二日後、ジャックは『アルマン』という新しい名前を与えられ
お風呂にも入れてもらってきれいになり
銀の縁飾りがついたピンクの襟巻きと、
白いレースを施した美しい宮廷服に着替え
頭には羽飾りの付いた帽子を被って
再び王妃の前に現れました。
王妃の朗読係であったカンパン夫人の証言によれば
『子供は本当に美しくなって、王妃様は喜んでいらっしゃいました』
とのことです。

しかし、この子は国王夫妻の王太子として認められず
結局祖母の元へ戻ったようなんですね。
王妃はこの子供を本当に養子にしたかったようで
意気消沈して、しばらく自室に閉じこもってしまいました。
あまりの激しい落胆に、髪の毛が一部抜け落ちてしまったとも
言われています。

そんなことがあったものの
上記の通り
1778年には第一子の王女マリー・テレーズを
そして1781年には、待望の王太子ルイ・ジョゼフを儲けました。
その後、1785年に次男のルイ・シャルルを出産し
1786年には次女のソフィー・エレーヌ・ベアトリスを産みましたが
この幼女は、20日後に1歳の誕生日を迎えるという日に
残念ながら昇天してしまいました。
そして、長男で王太子のルイ・ジョゼフも
1789年に病気のため、7歳という短い生涯を閉じました。

エリザベス・ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン画(1787年)
「マリー・アントワネットとその子供たち」 (ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)


← これは有名な、マリー・アントワネットとその子供たちを描いた絵です。
向って左から、長女マリー・テレーズ、次男ルイ・シャルル、長男ルイ・ジョゼフです。
王妃の隣にある無人のゆりかごは、この絵の製作中に亡くなった、次女のソフィー・エレーヌ・ベアトリスを象徴していると言われています。





ところで余談ですが、王妃が養子にし損なったジャックという少年
その後のフランス革命において、凶暴な共和国主義者に成り果て
1792年、対オーストリア戦で戦死したことが明らかになっています。

人気ブログランキングへ

0 件のコメント:

コメントを投稿