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2011年3月10日木曜日

パリのオペラ座

フランス紀行『マリー・アントワネットの足跡を探して』を執筆中
大変難を要したことの一つが、“パリ・オペラ座の場所の特定”でした。

「え?そんなの、現在地下鉄オペラ駅を地上に出れば
目の前に建ってるじゃない?!」
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね!
しかし、今見ることのできる、あのパリ・オペラ座、オペラ・ガルニエと呼ばれる建物は
1875年にシャルル・ガルニエによって建造されたもので
マリー・アントワネットの生きていた時代には
影も形もありませんでした。
私が探していたオペラ座は
1774年1月30日の時点で、パリに存在していたオペラ座で
1762年のパリの地図を見る限りでは
現在のオペラ・ガルニエが建っている場所には
畑が広がっていたようです。

で?1774年1月30日って何?何の日??
と思われるでしょうが
これは、私の作品が出版されたら
本文の中で是非解答を見つけて下さいね(^-^)ウフフ
(マリー・アントワネットにお詳しい方は、すでにおわかりかと思いますが^^)

話はオペラ座に戻ります。
18世紀~19世紀にオペラ座と呼ばれた建物は
非常に頻繁に火事に遭い
そのたびに新しいものが建てられました。
しかも、いつも同じ場所に再建されたとは限らないので
市内のあちこちに存在していたんです。
私が把握しているだけでも
パレ・ロワイヤルには2度ほどオペラ座が造られていますし
パレ・ロワイヤルのオペラ座が火事で消失した際に
仮のオペラ座としての役割を果たした
サル・デ・ムニュ・プレズィールと呼ばれるものや
ベルジェール通りにあったル・ペルティエというオペラ座
サル・ルーヴォアという名のオペラ座
現存するサン・マルタン門劇場の前身にあたる、サン・マルタン門オペラ座
そしてかつて王宮であったチュイルリー宮殿の中にも
オペラ座があったようです。

これらは、手元の資料でも、ネット上でも
全くと言っていいほど、詳しい情報が得られず
友人で、マリー・アントワネット時代の音楽について詳しい
フランス人のLさんに相談したところ
オペラ・ガルニエの中にある『オペラ座図書館』でなら
何かわかるかもしれないという助言をもらいました。

そこで、早速オペラ・ガルニエへ出向いたものの
今度は図書館の入口がよくわからない。。
だいたい、オペラ座の中に図書館が存在することすら
知らなかったのですが。
仕方ないので、一般見学の入口から入り
チケット売場で『オペラ座図書館に行きたいのですが、どこから入ればいいのですか?』
と尋ねたところ
フツーにオペラ座の見学口から行けといわれました。

でもやっぱり、どこを探しても図書館なんてない。
そして実を言うと、それまで私は
オペラ・ガルニエの中を見学したことがなかったので
一般の観光客に混じって
ついでに見学なんかしちゃったり(笑)

そんなこんなで、オペラ座見学しつつ図書館を探し
ちょうど通りかかった関係者らしき人を捕まえて場所を尋ねたら
オペラ座図書館のIDカードを所有している人しか入れない
専用入口を教えられました。
無論、私はIDカードなんて持っていないので
扉の前で立ち往生。
でも程なくして、中から若いお兄ちゃんが出てきて
私が中に入るものだと思ったようで
扉を手で押さえて待っていてくれるではないですかっ!
「メルシ!」なんて言いながら、ちゃっかり中に入ります、そりゃ。(^┰^)ゞ テヘヘ

でも、入ってしまえば
一般人にも公開している図書館なんだから
何も問題無いだろうと思っていたら
どうもそこは、なんだかやはりIDカードが無い人は
入っちゃいけない一角だったようで
(定かじゃないですが、そこでは唯一、書物のコピーができる場所だったみたい・・・?)
受付で見事に止められました。
でも、マリー・アントワネットについて調べていることや
1774年に存在していたパリのオペラ座を知りたいなど説明したところ
その受付にいたおじちゃんが、個人的にいろいろ教えてくれて
どうやら、私が知りたいオペラ座は
『パレ・ロワイヤル内にあるオペラ座』らしいということが、わかりました!
(おじちゃん、ありがとう☆)


それはそうと、私が作品の執筆に向けて取材旅行などを始めた頃
リヨン留学時代にお世話になったマダムが

「取材の件で誰かに何かを尋ねたい時には、必ず
『私は日本人で、マリー・アントワネットについて研究していて
○○について知りたい』ということを、
はっきりと相手に伝えることが大事よ!そうすれば
きっとその人は親切に教えてくれるはずよ!」

との助言をくれたのですが
この言葉の通りだと思ったのが
この、本来なら入ることなどできないオペラ座図書館の一角で
思いがけず情報を得られた時と
マリー・アントワネットの裁判が行われた
革命裁判所の一室を教えてもらい、
中に入ることができた時でした。

『知りたいんですっ!!』という気持ちは
相手を打つものなんですかね~^^


図書館を探しながら観光してしまった
オペラ・ガルニエの華麗なるギャルリー^^;
 




















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2 件のコメント:

  1. ROCOCO2011年3月12日 12:50

     2年前にオペラ座の見学に以降と思ったら終了時間に近かったためか入場出来ませんでした。残念。オペラ座はそんなにあちこち引っ越しをしているんですね。なんでもマリー・アントワネットはオレンジ色が嫌いだったそうです。
    オペラ座の燃える色に見えたようです。
     最近ではフランスの人もマリー・アントワネットに理解があるようになったのかしら。ちょっと前までは浪費して国を傾けた悪い女というイメージが強かったみたいですね。
    もっと好きな人が増えて色々な情報が分かるといいです。
     革命裁判所の見学も出来て良かったですね。
    当時のままなのかしら。裁判所から牢獄へはらせん階段を通ったみたいですが、歩いたと思われる所をたどってみたいですね。

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  2. ROCOCOさん、コメントどうもありがとうございます!
    日本は今大変なことになってますね。ROCOCOさんのお住まいの場所や、ご家族、ご友人など、皆さん大丈夫ですか?
    フランスでもニュースで大々的に報道されています。

    マリー・アントワネットの時代にパリに存在したオペラ座は、そうです、あちこち場所を変えて建て替えられています。
    どうやら、現在の『オペラ座』のように、固有の存在にはまだなっていなかったようで、要はオペラや音楽会が上演でき、ダンスホールにもなるような建物を、どれもオペラ座と呼んでいたのではないかな、という気がいたします。

    革命裁判所は、現在の最高裁判所なので
    今も通常の裁判に使われています。
    今度は、この裁判所のお話でもしましょうかね~!

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