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2020年10月30日金曜日

ナンシー Nancy  ②

前回に引き続き、ナンシーのご紹介です!

前の記事ではロレーヌ博物館の外観までをご紹介しましたが、館内はというと、ロレーヌ公国だった時代の歴史的背景の説明パネルや、当時にまつわる絵画、調度品等が展示されています。

   

展示室内

 

 

ロレーヌ公国出身の最後の君主であり、

マリー・アントワネットの父であるフランソワ3世

  

フランソワ3世の妻であり、マリー・アントワネットの母であるマリア・テレジア

ロレーヌ公国最後の君主、スタニスラス・レグジンスキ

 

 

 

スタニスラスの娘であり、フランス国王ルイ15世の妻であり、

マリー・アントワネットの義祖母であるマリー・レグジンスカ

 

おっと!こんなところにルイ15世の肖像画まで^^

 

 

1770年5月10日、マリー・アントワネットはナンシーを出発する前に、ロレーヌ博物館(当時はロレーヌ公宮殿)のすぐ隣にあるコルドリエ教会で、父方の先祖へ向けて祈りを捧げました。そのことが教会内に設置された大理石の羽目板に彫り込まれているんですけど、日にちが1770517日と間違っている(下の写真の赤丸部分)…(*_* ; 

他にも、マリー・アントワネットに近い人物としては、1777412日にマリー・アントワネットの実兄ヨーゼフ2世が、フランスを訪問した際にコルドリエ教会へ立ち寄っていたり、1828911日には、革命を生き延びた、ルイ16世とマリー・アントワネットの長女マリー・テレーズが、この教会の祭壇前にて祈りを捧げたと案内板にあります。

  

コルドリエ教会外観

  

コルドリエ教会内部(祭壇側)

 

コルドリエ教会内部(入口側)

 

マリー・アントワネットの訪問を記す案内板。日にちが間違ってる(*_* ;

 

その他、ナンシーの街で見つけたあれこれ♪

クラフ門

 

14世紀にナンシーの街の北側出入口として建てられた門で、市内で最も古い門だそうです。牢獄としても長期に渡って使用されていたとか!

ただ、4世紀に渡って手を加えられているため、建造物としては中世時代の様式、ゴシック、ルネサンス等、様々な建築様式が見られます。

この円筒に三角錐のスレート葺き屋根のついた建造物って、ヨーロッパの童話に出て来るお城の絵って感じで、個人的に大好きなんです(*^-^*)

 

街中を歩いていると・・・   

建物から自転車が半分飛び出してる!

 

こっちは馬が!!


ナンシーの狛犬?

 

なんて発見がありました♪

次回はシャロン・オン・シャンパーニュをご紹介しまーす☆



2020年10月16日金曜日

ナンシー Nancy ①


 

今日はナンシーのご紹介!

ナンシーのあるロレーヌ地方は、1766年までロレーヌ公国という小さな独立国でした。マリー・アントワネットの実父はこのロレーヌ公国出身ですし、また義曾祖父にあたるスタニスラス・レグジンスキは、ロレーヌ公国がフランス王領となる直前の最後の君主でした。なので彼女のウェディングロード上における都市の中でも、ナンシーは最もゆかりのある街ということになりますね!

 

現在でもフランス主要都市の1つで、ロココ芸術とアール・ヌーヴォーが花開いた街であるせいか、スノッブで優雅な雰囲気のある美しい古都です。

著作『フランス紀行 マリー・アントワネットの足跡を探して』の19ページにてご紹介している通り、ウィーンからフランスへ輿入れにやって来たマリー・アントワネットは、ナンシーに到着すると、街の中心に今も建つサン・ニコラ門で出迎えを受けました。

 

サン・ニコラ門

ヨーロッパの『門』っていうと、パリの凱旋門みたいな、数メートルの厚みのある大きな四角い石にアーチ状の穴が開いたものをイメージしませんか?

写真の通り、このサン・ニコラ門もだいたいそのような感じなのですが、実はその奥にもう一つ別の門があるんですよ!そちらがコチラ⇓

 

もう一つの門

2つの門はほんの数メートルしか離れておらず、アーチを施した壁によって繋がっているんです。

最初、このどちらの門がサン・ニコラ門なのだ?!とわからなかったのですが、調べたところ、アーチ形の横壁も含め、これ全部ひっくるめた建造物を『サン・ニコラ門』と呼ぶそうなんです!!

そもそも、17世紀初頭に建造された時は四角い箱型の建物で、北側の通りに面している壁が1枚目の写真のファサードで、南側の通りに面している壁が2枚目の写真のファサードだったのです。

しかし19世紀に真ん中の部分が壊されて、2つの門というふうに分けられ、更に20世紀に天井も取り払われて、今のような形になったということなんですね!

 

 

ナンシーで1番の観光スポットといえば、街の中心にあるスタニスラス広場。上記したロレーヌ公国最後の君主、スタニスラス・レグジンスキが175155年にかけて造らせた大変美しい広場です。

 

 広場の中央に立つスタニスラス・レグジンスキの像
 
 
 
広場の一角

マリー・アントワネットがナンシーで滞在した、当時の地方長官の館であり、現在高級ホテルとして使われている『グラン・オテル・ド・ラ・レーヌ』の建物も、この広場に面してあります。

実は私、著作を出版した後に、とんでもない間違いに気づいたんです(>_< ;)

著作21ページに掲載しているこの高級ホテルの写真、じ、じ、実は、写真の建物はホテルじゃなかったんですっっ!!!

拙著をご購読くださった皆様、本当に申し訳ありません。今更本にある写真の差し替えもできないため、このブログにて訂正させていただきます。

では21ページの写真は何かと言いますと、ホテルのすぐ隣に建つ『ロレーヌ国立歌劇場』の建物だったんです。。。

どうしてこんな間違いをしたかと言いますと、言い訳にはなってしまいますが、このスタニスラス広場に面している建物、みんな同じようなファサードばかりなんですよ(泣)

 
 
  
上から『グラン・オテル・ド・ラ・レーヌ』、『美術館』、『ロレーヌ歌劇場』

 

 因みに市役所の建物も横幅は長いですがファサードは同じ。⇓


この統一美こそが広場全体の美しさを引き出す要因の1つなんでしょうが、それ故に勘違いしてしまったのでした。

でも言い訳にしかなりません。よく確認してから本に掲載すべきでした。反省しております。。。

 

 

気を取り直して。。

広場の北側奥にあるエレ凱旋門のアーチをくぐり…

 

エレ凱旋門

 

そのまま突き進むと、宮殿のような官邸があります。

官邸

左に折れてグランド・リュという通りに入ると、すぐ右手にロレーヌ公宮殿があります。入口周りの装飾がとても美しいです。

 



現在宮殿はロレーヌ博物館として使用されています。

中庭から見たロレーヌ公宮殿(ロレーヌ博物館)

 今日はここまでです!

ナンシーについての後半は、また数日後にアップしますね☆

 

 

 

2020年10月6日火曜日

サヴェルヌ Saverne

ベルばらファンなら、「サベルヌ」の表記でお馴染みの「サヴェルヌ」です。ジャンヌが脱獄後に潜伏していた街ですね!

一応ね、「be」ではなく「ve」なので、私は「サヴェルヌ」と書かせていただきます^^ 

 


 サヴェルヌについて、『フランス紀行 マリー・アントワネットの足跡を探して』の著作では、19ページにさらっと書いて終わってます。マリー・アントワネットの足跡的には、ストラスブールの次に宿泊した街で、ローアン大司教所有の館、ローアン城にて1晩を過ごした…ということくらいしか、特筆することがないので^^;;

でも訪れてみるとなかなかこじんまりとした愛らしい街で、比較的大きい都市であるストラスブールからやって来ると、グっと静かで穏やかな雰囲気に心が和む感じです。

そしてベルばら好きとしては、やはりジャンヌに想いを馳せて街歩きしてしまいますね☆

 

  
街の広場

 

サヴェルヌはストラスブールの北西約40km、ナンシーの北東約90kmのところにあります。

市内をゾールヌ川とマルヌ・オー・ラン運河が流れる、水源豊かな街です。

 

 サヴェルヌ駅から歩いて数分の所を流れるゾールヌ川

 

街中を通るマルヌ・オー・ラン運河

 

マリー・アントワネットが宿泊したローアン城は、街のど真ん中にあります。

元々中世時代の司教館の廃城があった場所で、サヴェルヌが自身の管轄司教区だったルイ・ルネ・エドワール・ド・ローアン大司教が、ここに城を建設させました。しかし1779924日の夜に発生した火事で城は崩壊。これを機に前回の城よりもっと豪華絢爛な城を建設しようと決意し、工事も始まりましたが、例の首飾り事件に大司教は巻き込まれ、その後国外へ渡った為、結局このサヴェルヌの城に足を運んだのはそれほど多くありませんでした。

ただ、ローアンがブーランヴィリエ侯爵夫人を介してジャンヌ・ド・ヴァロアを紹介された場所というのは、ここサヴェルヌのローアン城だったそうです!

革命後、ナポレオン三世の治世下になると、城は戦争で夫を亡くした未亡人のための老後施設として使用され、更に牢獄、兵営としての役割を果たした後、現在は美術館等に利用されています。

ローアン城

 

ローアン城の庭園

街のど真ん中を突き抜ける《グラン・リュ(GrandRue)》が、サヴェルヌのメイン通り。

コロンバージュ(木組みの家)をはじめとした、中世のおとぎ話に出てくるような可愛らしい家が立ち並ぶ通りです^^

グラン・リュ
 
 
 

手前のフランス国旗が掲げられているのが、グラン・リュ沿いに建つ市役所の建物。
その隣の木組みの家が《メゾン・カッツ(maison Katz)》と呼ばれる家で、
サヴェルヌの中でも現存する古い家の一つ。1605年~1668年に建てられたそうです。
 
 
メゾン・カッツの前に立つブリキの像。なんかちょっと怖い^^; 
  

ローアン城のすぐ隣、高台の上には、《ノートルダム・ド・ラ・ナティヴィテ教会(Eglise Notre-Dame-de-la-Nativité)》という、1485年に建立された教会があります。

その後方に1617世紀に建てられたオーベルオフ(Oberhof)という名の建造物もくっついているのですが、上記した通り、隣のローアン城が建設される前に存在していた司教館とこの建物が、どちらも中世時代に建てられた司教館で、その時代のストラスブール司教がサヴェルヌでの居住地とした建物です。

つまり、高台の下にあった司教館はローアン城に生まれ変わり、高台の上の司教館は今も残っているというワケ^^

 

ノートルダム・ド・ラ・ナティヴィテ教会

 

教会内部
  
 

オーベルオフ
 

オーベルオフの入口付近に無造作に置かれた…棺桶?!彫像の型?!
いずれにしても、人の形にくり抜いてあるのがちと怖し(>_<)

 

さ~てさて、お次はサヴェルヌ市内にある修道院です。ということは!ここがジャンヌの潜伏先~?!なんて妄想が膨らみます()

ただですね、先に言っておきますが実際ジャンヌはサヴェルヌには潜伏していないのです。パリの牢から脱獄した後、どうやらロンドンに渡ったようです。夫が先にロンドンへ逃亡していたからでしょうね。

でもベルばらファンの方は、サヴェルヌで身を隠し生活しているジャンヌを投影させながら読んでくださって構いません(^O^)

 

レコレ派修道院及び教会(Église et cloître des Récollets

 

1303年に修道院として創設され、教会、修道士の居住用の建物、回廊などが建設されたのは1415世紀にかけてだそうです。

当初はフランシスコ修道会が入っていましたが、その後一時期イエズス会の所有となり、17世紀になって再びフランシスコ修道会が落ち着くことになりました。

しかし修道院はそのうち使われなくなり、廃墟となっていったようです。19世紀になって市の所有物となったそうなので、まさにマリー・アントワネットの時代の18世紀、ここは荒廃した修道院の建物であったわけですね!もしかしてそんなことまで調べ上げた上で、池田理代子さんはこの修道院をジャンヌの隠れ家のモデルにしたのでしょうか?!そうだとしたら、ものすごいリサーチ力ですよね!!!


修道院の回廊
 

中庭

 

『ここを教えたのは、ロザリーかい?』

という、松金よね子さんの声が蘇ってきました(笑)

 

みなさん、いかがでしたか?(^^)