depuis Janvier 2011

2020年9月10日木曜日

発売から1ヶ月が経ちました

朝夕はだいぶ涼しくなってきましたが、昼間はまだまだ暑いですね><

皆様、お元気でお過ごしでしょうか?

 

『フランス紀行 マリー・アントワネットの足跡を探して』が発売されてから、1ヶ月が経ちました。

本を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます!!

お陰様で最初の1か月の売れ行きは好調で、改めての日本におけるマリー・アントワネット人気を再確認した次第です。

読者様からもご感想をメールでいただき、有難いことにご好評いただきまして、著者としては嬉しい限りです!!本当にありがとうございます<(_ _)>

 

著作の中では頑張って単価の高い(笑)カラー写真を沢山載せましたが、実際はあの何十倍もの写真を撮っており、本当はこの写真も載せたい、あの写真も載せたいと、皆様にお見せしたい写真が他にもいっぱいあります☆

今後は、本に掲載し切れなかった写真のご紹介などをしていきたいと思います。楽しみにしていてくださいね!(^O^)/

 

 

 

2020年8月5日水曜日

《フランス紀行 マリー・アントワネットの足跡を探して》ついにamazonにて発売開始!!

 

本日8月5日、ようやくamazonにて、私の著作《フランス紀行 マリー・アントワネットの足跡を探して》が発売開始となりました!!
 
7月31日発売予定が5日も延びてしまい、「本当に発売されるんだろうか・・・?」と正直不安にもなっておりましたが、まずは無事に販売されてホっとしています。^^
20年以上抱いていた夢が・・・ついに叶いました(ToT)
 
amazonのページにある試し読みは、途中ページが抜けているのと、10数ページしか読めないため、試し読みをご希望の方はこの2つ前の投稿『あと数日でAmazonにて発売!!』の下の方にあるリンク先をクリックしてお読みくださいね!
 
 
本を書き終えてすぐに立ち上げたこのブログですが、本がこの世に出るまでに9年の月日が流れました。その間、たくさんの方から応援、ご協力をいただきました。そのすべての皆様に心から感謝申し上げます!!!
そして今後私の本を手に取ってくださるすべての方にも、心からお礼を申し上げたいです!!!
 
マリー・アントワネットを通じて、歴史の浪漫を感じていただけたら嬉しいです^^

2020年7月31日金曜日

まだみたいです(;_;)

ん~~本当は本日7月31日が、《フランス紀行 マリー・アントワネットの足跡を探して》の本の発売予定日でしたが、Amazonでの処理がどうやら間に合わなかったようです(泣)

明日以降の発売となりますが、販売開始になりましたらお知らせいたします!!


2020年7月27日月曜日

あと数日でAmazonにて発売!!

いよいよ!いよいよです!!(≧◇≦)

《フランス紀行 マリー・アントワネットの足跡を探して》の書籍が
7月31日にAmazonにて発売予定です!!

前回の記事を書いて以降、あとは「あとがき」さえ書けば、すぐにでも出版できると思っていたのですが、表紙の作成に少々手間がかかってしまいました(汗)
以前から、このブログの壁紙と同じ感じの表紙にしたい♪というイメージは持っていたんですね。
つまり、背景色がダークレッドで、ヴィジェ・ルブランが描いた青緑色のドレスを着たマリー・アントワネットの絵を中央に持ってくるという・・・。

私はあまりパソコンのソフトをあれこれ使いこなせる方ではないので
Wordでせっせと思い描く表紙を作ってみたんです。
しかし、本文も表紙の原稿も全てPDFでの入稿なので、WordからPDFに変換したのですが
何故か何度やっても背景色しか出ない(;_;)
POD出版支援サービスの会社のサポートに問い合わせても解決せず、ネットで解決方法を検索してもうまいこと行かず、あともうちょっとで出版に漕ぎつけるというところで、どうすりゃいいんだぁ~(ToT)と嘆いていました。

前にもお話しました、今回の出版のきっかけを作ってくださった西川様(すでに何冊もPOD出版で本を出していらっしゃる)にも相談し、大変ご親切なアドヴァイスやお申し出を戴いたのですが、最後の最後、「PDFにした時に画面が真っ白になってしまう」の解決法として載っていた「PDFのバージョンを1.4以下に下げる」という方法を一か八か試してみたんです。そしたらなーんと、これでバッチリWordで作成したものがそのままPDFに変換できたんです!!
画面が真っ白になったわけではないのに、何故これでうまく行ったかはテンでわかりません^^;
でもトイレの詰まりがゴボゴボっと流れた時のような達成感(?)に、思わず『やったー!!!』と、パソコンの前で万歳してしまいました(笑)

というわけで、無事に表表紙、裏表紙(裏はバーコードのみですが^^;)、背表紙がPDF変換され、先週見本の本が送られて来ました(*'▽')
実際に販売される本の紙質や色とは多少違いが出るとのことでしたが、ちゃんと本として形になって届いた時は感動モノでした^^

そしてこの見本を元に、今一度最後の最後のチェックをし、ケアレスミス等を修正して、ついに出版申請いたしました!!
現在、販売先となるAmazonでの処理中で、問題が無ければ7月31日に発売開始となっております!!


そこでそこで、本日は!!発売日に先駆けて、なーんと冒頭42ページまで(最終的に全部で222ページになりました)の試し読みをご提供させていただきます(#^o^#)
また、試し読みでは表紙が表示されませんので、表紙イメージ入りの宣伝用POPを貼っておきますね!POPの左側が、表表紙とほぼ同一になる予定です☆



試し読みはコチラから!

Amazonで発売開始されましたら、またこのブログでご案内いたします!!



2020年6月21日日曜日

写真の挿入作業完了!

コロナもだいぶ落ち着いてきましたが
皆様いかがお過ごしでしょうか?

出版準備も着々と進んでおり、先日ようやくすべての写真挿入作業が終了いたしました!!
全216ページ中(最終的に多少前後するかもしれませんが)92ページにカラー写真を入れました☆
カラーのページが多ければ多いほど印刷費も上がるので、できるだけ白黒写真にして・・・とも思いましたが、やっぱり読んで下さる方にカラー写真でその雰囲気やイメージを味わっていただきたくて、ほとんどの写真をカラーにしてしまいました(^_^;) まだちゃんと計算していませんが、本が売れても利益そんな無さそうです(;´∀`) 

今は最終的な諸々の作業をしており、あとは「あとがき」を書いていなかったので、これを書いたらいよいよ出版ですっ(≧▽≦)

『楽しみに出版を待っています』と、コメントやメールをくださった皆様、本当にありがとうございます!!(^O^)/


2020年5月13日水曜日

鬼のアラビア数字再変換(T_T)

前回の記事の続きになります!

出版に向けて、今原稿の準備をしており、ワード原稿を横書きから縦書きにしたことにより、アラビア数字を全て漢数字に直したという話をいたしました。
これには相当の労力が入りましたが、なーんとコレ、全てまたアラビア数字に戻さなければならなくなったのです(泣)

というのも、漢数字への変換作業終了後、今度はしかるべき箇所に写真等を挿入するという作業に入ったのですが、各写真には、その写真の説明のキャプションを入れたいわけです。しかし、縦書きで本文は書かれていても、キャプションは写真のすぐ下に、横書きで入れるのが自然ですよね?例えばこんな感じ⇓


 (ナンシーのロレーヌ博物館)

『(ナンシーのロレーヌ博物館)』というのがキャプションです。

書式を縦書きにしている中にこのような横書きの文章を挿入したい場合は、横長の『テキストボックス』をまず入れ込んで、そこに横書きで文章を書けば簡単に解決するのですが(ワードのことがよくわからない方、きっとチンプンカンプンかと思いますがお許しください><)、今回POD出版元に原稿を提出するのに、ワードのテキストボックスは使用不可だというのです。。。

でもキャプションは絶対に必要なので、写真の左側に縦書きで入れてみたりしました。
すると今度は、縦書きの本文とうまいことスペースを空けて入れられなかったり、読みづらかったり、そもそも縦書きのキャプションって違和感があったりで、どうにもしっくりきません。
すでにPOD出版をされていらっしゃる、以前ご紹介しました西川様に相談したところ、章末にまとめるのが良いのではないかとアドヴァイスを頂きました。ただ、そもそも写真や挿絵等を挿入する本は、縦書きは向かないとのご指摘も頂戴したのです。
確かに、写真の挿入1つとってもそうですが、本文中にフランス語も出て来るので(誤解の無いように申し上げておきますが、あくまで日本語で書かれた書籍です。通りの名前や、見学場所の呼称等を、補足的にフランス語で書いてある箇所がいくつもあります)、アルファベットだけ横向きになってしまう問題もあったりで、この手の書籍はむしろ横書きの方がいいのかなと思い始めました。

しかし、鬼の漢数字変換をしたばかりだったので、またこれをアラビア数字に直すのかぁーと思うと、ちょっと心が折れました。。。

暫く悩んだ挙句、やっぱり横書きの方がいろいろなことがしっくりくるかな、と思い、横書きに戻すことを決意。縦書きを横書きに変換し直し、あんなに苦労した漢数字たちを、また一つ一つアラビア数字に戻していったのでした(ToT)

ということで、ようやく全ページのアラビア数字再変換作業が終了したところです。
これから写真や絵の挿入作業に入ります!!




2020年5月8日金曜日

鬼の漢数字変換

前回の記事にも書きました通り、POD出版に向けて今準備を進めております!
まず最初にやらねばならないのが、実際に売る書籍のサイズにワードの原稿を変更しなければならないこと。そして横書きで書いていたものを縦書きにするという作業です。

ワードの原稿はA4の横書きで書いていました。途中途中に写真も入っています。
実際の本はA5にするつもりで、そして一般的な書籍らしく、縦書きと決めていました。
サイズ変更や横書きから縦書きへの変更は、ワードの設定をポチポチっとやれば変換できちゃいますが、当然レイアウトがめっちゃ崩れます(泣)
挿入されてた写真は、位置がぐちゃぐちゃになりました(更泣)
でももっと大変なことに気が付いたんです><
それは、数字が皆横向きになっていること!!
手元にある日本語で書かれたフランス史の書籍を参考に見てみると、数字はみんな漢数字になっている。。。ということで、いちいち「ルイ15世」を「ルイ十五世」ってな感じで、読みながら変換するという作業をチマチマ始めました。

するとまたもや問題が!
「25」は「二十五」にすべきか、「二五」にすべきか。「360」は「三百六十」にすべきか、「三六〇」にすべきか、という問題。。これも手持ちの本を参考にしましたが、この『漢数字ルール』に関しては、書籍によって様々でした。
基本的に「二十五」のように、「十」を入れたい派なんですが、さすがに年号、例えば「1789年」は「千七百八十九年」ではおかしいので、「一七八九年」だよねーなんて考えてみたり。
でも「52.5m」なんていうのは、「五十二・五メートル」より、「五二・五メートル」の方がしっくり来るよな~なんて考えたり。統一した方がいいよね、と思うものの、もう~なんだかワケわからなくなってしまいました。(ハァー。。)

それでも自分なりにルールを作って、それに基づいてカチャカチャ変換作業。アラビア数字を見つけちゃ漢数字に変換、の繰り返し。ただ読み進めながらなので見落とししないようにと神経も使い、かなり大変(◞‸◟) そこでふと、数字だけピックアップできる機能とか、ワードにないのかな?と思いweb検索したところ、あるじゃないですかーー!!
ホームの「検索」ってところをクリックして、探したい文字を入力すれば、全ページ中その文字が書かれている箇所がマーカーされるという、素晴らしい機能が。さすがワード!!
ということで、「0」から順番に、「1」「2」・・・と数字の検索をかけていき、マーカーされた数字を漢数字に変換。これで変換漏れも無しで、めでたしめでたし(パチパチ)
でも相当な数の数字があったので、丸一日がかりでした^^;;

・・・と、こんなに漢数字変換頑張ったのに、結局無駄な努力になる予定なんです。。。(泣)
その話は次回させて頂きます!



2020年5月6日水曜日

いよいよ出版!!

皆様、大変ご無沙汰しております。
世の中は今、コロナウイルスのことで大変な状況ですが
ご無事でお過ごしになられていらっしゃることを祈るばかりです。

このブログも、2011年に始めてから
かれこれ9年もの月日が流れてしまいました。
私が執筆したマリー・アントワネットの紀行文を、書籍という形で世に出すまでの奮闘記を綴る目的で立ち上げたブログですが、なかなか出版まで辿り着けず、ブログも奮闘記というより、マリー・アントワネットに関して調べたことをご紹介する内容が主となっておりました。
出版への気持ちはずっと持ち続けてはいたものの、成す術がなかなか見つけられず、また、その術を積極的に見つけようというモチベーションを高めるにも、ちょっと難しいという時期も正直長らくありました。

しかし、ちょうど1か月前の4月初め、西川秀和様というお方からメールをいただき、POD出版(プリント オン デマンドの略で、注文に応じて印刷・製本し、注文者へ届ける出版形式)で、本を出されてはどうですか?というアドヴァイスを頂戴しました。
西川様ご自身がその方法で個人出版を実際なさっていらして、主に英訳の書籍を多数出版していらっしゃいます。現在は、ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑を担った死刑執行人のシャルル・アンリ・サンソンの孫が書いた『サンソン家回顧録』の英語版の翻訳本を手掛けられていらっしゃるそうです。これは私も興味大です!!(詳しくはコチラ⇒https://note.com/filius

西川様には、個人出版の具体的な方法を詳しくご丁寧に説明していただきました。
個人出版もいろいろなやり方があるようなのですが、私が今回、西川様からご教示頂いた中で魅力を感じたのは、本の『販売場所』として、Amazonで売るという方法です。
実はもう随分前に、Amazonで個人出版ができるという情報は得ていたのですが、そのうち詳しく調べてみようと思いながら、そのままになっていたのでした。
今回、改めてAmazonでの個人出版という方法が浮かび上がって来たのも、何かの縁というか、チャンスというか、良いきっかけと思い、コロナで気が沈みがちな今、思い切ってやってみよう!!と気持ちが奮い立ちました(≧▽≦)b

ということで、数日前から出版に向けての準備に取り掛かっております!!
原稿はすでに書いてあるものの、いろいろと前段階でやることがあり、悪戦苦闘していますが
無事出版まで漕ぎつけられるよう、進行状況をブログに綴っていこうと思いますので、どうか応援よろしくお願いいたします(≧◇≦)






2018年11月20日火曜日

マリー・テレーズ王女の替え玉?!ルイ16世の私生児?!②

前回の話に引き続き、マリー・アントワネットの養女であったエルネスティーヌについてみて行きましょう!
今日は、エルネスティーヌとマリー・テレーズのすり替わり説についてお話します^^

エルネスティーヌの生い立ちは前回書きましたので、マリー・テレーズの生涯についてざっくりとご紹介します。

1778年12月19日、フランス国王ルイ16世と、王妃マリー・アントワネットの間に第一子として生まれた王女です。「マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス」というのが正式名ですが、「マダム・ロワイヤル」という愛称でも呼ばれます。

王宮のあるヴェルサイユで生れ育ちますが、もうすぐ11歳の誕生日を迎えようという1789年10月6日に、フランス革命の煽りを受け、家族と共にパリのチュイルリー宮殿へと移り住むことになります。
1791年6月20日、父、母、弟、伯母、そして自分と弟の養育係の6人で、ベルギー国境近くの城塞都市モンメディへ向けて逃亡しますが、あえなく失敗し、5日後に再びチュイルリー宮殿へ戻ります。
(前回書きましたが、エルネスティーヌも国王一家と共にチュイルリー宮殿へ移りました。そして一家の逃亡には同行せず、一時的に父親の元へ帰った、もしくはサント・マリー修道院に身を寄せたと言われています。国王一家が宮殿へ戻ると、エルネスティーヌも同様に戻りました)

1792年8月10日、チュイルリー宮殿がパリの群衆に襲撃され、3日後に国王一家はパリ市内のル・タンプルという場所へ幽閉されます。翌年1月には父が、10月には母が処刑。そしてその翌年には伯母も処刑され、残った弟も更に1年後の1795年に、ル・タンプル内で病死しました。母、伯母、弟の死については、後になって知らされたと言われています。
(エルネスティーヌはル・タンプルへは同行せず、どこかへ身を隠したと言われています)

1796年1月、オーストリアにいるフランス人捕虜との引き換えという条件で、マリー・テレーズはル・タンプルから釈放されてウィーンへ送られます。
その後もフランスの政治状況に振り回されながら、ロシアやイギリス、ポーランド等、ヨーロッパ各地を転々とする生活をし、そんな最中である1799年6月10日に、従兄にあたるルイ・アントワーヌ(アングレーム公爵)と結婚し、アングレーム公爵夫人となります。

フランスの王政復古によって故国フランスへ戻るも、1830年に起きた7月革命により再びイギリスへ亡命。その後オーストリアへ移り、1851年10月19日、肺炎のため72歳で逝去しました。

…と、これがオフィシャルに言われているマリー・テレーズの人生です。

しかし1954年に出版された、フレデリック・ド・サックス-アルテンブール氏の『マダム・ロワイヤルの謎』という本の中では、マリー・テレーズがル・タンプルから解放されウィーンへと旅立つ際に、エルネスティーヌとすり替えられた。と書かれているのです!つまり、1796年1月にオーストリアのウィーンへ到着したのはマリー・テレーズ王女本人ではなく、王女になりきったエルネスティーヌであり、その後死ぬまでマリー・テレーズとして真実を隠しながら生きたというのです。当然、ルイ・アントワーヌと結婚したのもエルネスティーヌで、ルイ・アントワーヌの父であるアルトワ伯爵も、叔父にあたるプロヴァンス伯爵も(どちらもルイ16世の弟)、承知の上だったと言います。

それでは本物のマリー・テレーズはどうしたかというと、エルネスティーヌとすり替わった後、ソフィー・ボッタと名を変えて、オランダ人外交官の保護によりドイツのヒルトブルクハウゼン、次いでアイスハウゼンで隠匿生活を送り、1837年に死去したというのです。いつも黒い服を着用し、ベールで顔を覆って生活していたことから、『闇の伯爵夫人(La comtesse des ténèbres)』というあだ名で呼ばれていたと言われています。

サックス-アルテンブール氏の著作が発端となり、主にドイツでこの替え玉説の研究が行われ、これらの主張は正しいとする歴史家も出始めました。果たして真実はどうなのでしょうねぇ?!

母国フランスでは、替え玉説をキッパリ否定する歴史家がいます。その一人、クリスティアン・クレパンは、この替え玉説について40年もの歳月を研究に費やし、2002年に「アングレーム公爵夫人はエルネスティーヌなんかではない!」(つまり、エルネスティーヌはマリー・テレーズとすり替わってルイ・アントワーヌと結婚なんかしていない)といった内容の研究結果を発表しました。
その一番の根拠は、現存されているランブリケ家の各種証書だと言います。当時、フランス各地の教会は、その教会が管轄している地域住民の出生、洗礼、死亡、婚姻などの取りまとめを行っており、正式な証書として台帳に残していました。また首都パリでは、1795年に行政区が出来てからは、各区役所がそれらの取りまとめを行い、いわゆる戸籍謄本を作って管理していたようです。
それによるとエルネスティーヌは…

【ヴェルサイユのサン・ルイ地区の台帳より】
1778年7月31日 ヴェルサイユにて出生
1778年8月1日 ヴェルサイユにて受洗

【パリ(パッシー)の戸籍謄本より】
1810年12月7日 ジャン・シャルル・ジェルマン・プロンパンと結婚
1813年12月30日 パッシーにて死去

と記載されているとのことです。
もしエルネスティーヌが1796年にマリー・テレーズとすり替わってオーストリアへ渡り、上記した人生を送っていたなら、1810年に結婚したとも、1813年に死亡したとも、戸籍謄本に記載されるわけがありません。よって、替え玉説は嘘だと、クリスティアン・クレパンは述べています。

またその後、2014年7月28日に発表された、上記『闇の伯爵夫人』と呼ばれたソフィー・ボッタとマリー・テレーズ王女のDNA鑑定の結果が「同一人物ではない」であったことからも、マリー・テレーズがエルネスティーヌとすり替わって闇の伯爵夫人になったという説が完全に否定されたわけで、その結果、替え玉説はやはり偽りだと、『替え玉説否定派』は主張しています。


因みにこの台帳や戸籍謄本を2日かけて調べましたが、ヴェルサイユのサン・ルイ地区の台帳は原本が残されていましたが、パリ(パッシー)の戸籍謄本は、1871年に起きたパリ・コミューンでの火災で1860年以前の戸籍謄本の大半が焼失したせいか、エルネスティーヌの婚姻と死亡の戸籍謄本の原本は見つけられませんでした。
ただ、パリ古文書のwebサイトで検索すると、1813年12月30日にマリー・フィリピーヌ(エルネスティーヌ)・ランブリケはパッシーにて死亡という情報がちゃんと出てきますし(原本は存在しないけれど、別途それを証明する何かが存在したということでしょうか)、ランブリケ家の家系図を調べたところ、エルネスティーヌの項目に出生、受洗、婚姻、死亡の日付と場所等が上記の通り明記されていました。

まあ、原本が無い以上、1810年の結婚と1813年の死去が本当かどうかなんてわからないと言えばそうですが、皆さんはマリー・テレーズとエルネスティーヌのすり替わり説、どのようにお考えになりますでしょうか?^^

こちら⇓が、エルネスティーヌの出生及び洗礼について記載されたサン・ルイ地区の台帳原本です。今も昔も、フランス人の筆記体は読みにくいので、書かれている文章と訳を、大事なところだけ付けておきました~^^



2018年11月12日月曜日

マリー・テレーズ王女の替え玉?!ルイ16世の私生児?!①

こんにちは!

前回の投稿「マリー・アントワネットのドレスはどこに収納されていた?」のコメント欄に、マリー・アントワネットの娘、マリー・テレーズがお好きでいらっしゃるsara様から、エルネスティーヌについて教えて欲しいとのコメントを頂戴いたしました。
彼女についてはあまり情報が無く、調べるのにちょっと時間がかかってしまいましたが、一応下記のような記述を見つけましたので、2回に渡ってご紹介いたしま~す(^-^)

まずは、「エルネスティーヌって一体誰?!」という方がほとんどだと思いますので、この人物についてお話いたします。

1778年7月31日、父・ジャック・ランブリケと母・マリー・フィリピーヌ・ノアロとの間に生まれた女の子で、マリー・フィリピーヌ・ランブリケ(名が母親と同じなのでややこしいですが^^;)が出生時の名前になります。
1788年4月30日、彼女が10歳になる年、王女マリー・テレーズ(ルイ16世とマリー・アントワネットの長女)の部屋付き侍女であった母親が亡くなったのを受け、マリー・フィリピーヌ・ランブリケは、王妃マリー・アントワネットによって養女にされました。その時、名前を「マリー・フィリピーヌ」から「エルネスティーヌ」と王妃に改名され、以後、「エルネスティーヌ・ランブリケ」と呼ばれます。
偶然、王女マリー・テレーズと同い年だったため、二人は本当の姉妹のように仲良く過ごしました。
エルネスティーヌはポリニャック家で暮らしながら、マリー・テレーズと同等の扱いを受けたと言われます。

フランス革命が起こり、国王一家がチュイルリー宮殿へ移された際にも、エルネスティーヌは一家と共にチュイルリー宮へ連れられています。
1791年6月20日、国王一家がモンメディへの逃亡に出発するにあたっては、父親のジャック・ランブリケの元へ託されたという説と、パリのサン・ジャック通りにあるサント・マリー修道院に身を寄せたという説があります。いずれにしても、逃亡が失敗に終わり、一家がチュイルリー宮殿へ戻ると、エルネスティーヌも宮殿へ戻りました。

…というのがエルネスティーヌの出生からの生い立ちなのですが、彼女がこの世に名を残しているのは、実は彼女は国王ルイ16世の私生児であるという説があることと、この後王女マリー・テレーズとすり替わって、彼女がアングレーム公爵夫人になったという、二つのビックリ説があるからなんです!!

では私生児説から見ていきましょう!
オフィシャルには父親は上記した通りジャック・ランブリケです。エルネスティーヌ(出生時は先に述べたようにマリー・フィリピーヌ・ランブリケという名前ですが、ややこしいので彼女のことはエルネスティーヌで統一します)の出生証明書は現存しており、ヴェルサイユのサン・ルイ地区で、父親はジャックであるとした出生記録が残っています。
しかし主にドイツで、エルネスティーヌは宮廷で小間使いをしていたマリー・フィリピーヌ・ノアロとルイ16世との間に産まれた子だという説を唱える歴史家がいるようです。ルイ16世が包茎手術をした後、❝手術の効果を確かめるために❞、小間使いを相手に試してみたところ、効果抜群で小間使いを妊娠させてしまったと!そして産まれたのがエルネスティーヌだというのです。つまり、マリー・テレーズとは腹違いの姉妹ということになりますね。
それを証明するものはいろいろあると言われていますが、私が見つけた記述としては、

①マリー・テレーズとエルネスティーヌが瓜二つだから。(父親が同じだからこそ瓜二つであると?)
②ジャック・ランブリケはオルレアン公(または国王のどちらかの兄弟)の下僕をしていたのですが、他の同職者より厚遇されていたから。(奥様を寝取った慰謝料?)
③母親が亡くなってエルネスティーヌは養女にされたが、エルネスティーヌの弟、オーギュスト・ルイ・ランブリケは養子にしてもらえなかったから。(弟には王族の血が流れていないから?もしくは王族の血が流れている姉が優先だから?)

といったものが挙げられていました。私個人としては、どれも決定打に欠ける主張に思えますが…^^;

例えば①は、残されている肖像画を元にした主張のようですが、エルネスティーヌの肖像画として残されているものは一つしかなく、それがもしかしたらマリー・テレーズを描いた肖像画である可能性も否定できないそうです。
②に関しては、実際にジャック・ランブリケがどれほど他の人より高い賃金を受け取っていたのかがわからないので、何とも言えず。ただ、王族に仕える者が他者より厚遇される理由は、コキュ(寝取られ夫)にされた時に限った優遇措置とは思えないので、決定的な理由ではないですよね。
③ですが、確かにエルネスティーヌは、母親が亡くなった直後に王妃から養女にしてもらった上、1200リーヴルのお金まで与えられています。弟も何かしらの恩恵を受けたという情報は何も無いので、何故姉だけがこれだけ良くしてもらえたのか不思議ではあります。
ただ、エルネスティーヌ以外にも、王妃が養子・養女にした孤児はいるようですし、また私の勝手なイメージではありますが、ぶっちゃけマリー・アントワネットは、その時々の気分や気持ちで養子にしてみたり、恩恵を授けたりしていたのではないかと思うんですね。あんまり深く考えず、キリスト教の慈悲の概念に基づき、「身近に孤児になった子がいる」→「養女にしてあげましょう」で、エルネスティーヌを養女に迎え入れた。しかし彼女に弟がいることや、姉だけに温情を与えたら弟が不憫だとか、そんなことまでいちいち考えなかったのだろうと思います。娘とエルネスティーヌがすでに仲良しだったので、養女にする前からエルネスティーヌには親しみや愛情を持っていたのかもしれません。弟が養子にされなかったから、すなわちエルネスティーヌは国王の私生児とは、直結しないように思います。

それにそもそも…ですが、「ルイ16世は包茎手術をしたか否か?」にも書いた通り、国王は包茎手術をしていないというのがどうやら正しいようですから、『術後の確認作業』というのが、そもそも怪しいワケです^^;
しかも何故その作業を王妃ではなく、小間使いとしたかというのも変な話です。まあ、男と女のことですから、『その場の諸事情』といったものがあったと言われれば、それまでですけどね(^_-)

では、次にマリー・テレーズとエルネスティーヌのすり替わり説について見ていきます。「マリー・テレーズ王女の替え玉?!ルイ16世の私生児?!②」を、お楽しみに!!(^O^)/