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2020年9月18日金曜日

ウェディングロードの宿泊先

 

前回、『フランス紀行 マリー・アントワネットの足跡を探して』の著作の中で、掲載し切れなかった写真をご紹介しますね~というお話をさせていただきましたが、その前に、今日はちょっと別の話題のご紹介をしたいと思います!
 
実は先日、著作を読んでくださった読者様からメールをいただきまして、マリー・アントワネットが輿入れのためフランス・ストラスブールに入ってから、夫となるルイ・オーギュストと会うコンピエーニュまでの道のり、いわば「フランス国内のウェディングロード」における宿泊先を教えて欲しいというご要望を頂戴いたしました。
 
本の中では、マリー・アントワネットは1770年5月7日にストラスブールに到着し、この日はローアン館に宿泊、翌5月8日はサヴェルヌのローアン城に泊まったことを紹介しております。
 
その後、
5月9日 ナンシー泊
5月10日 バール・ル・デュック泊
5月11日 シャロン・オン・シャンパーニュ泊
5月12日と13日 ソワッソン泊
そして5月14日にコンピエーニュ到着、という流れを書いておりますが、このナンシー以降の4都市の具体的な宿泊場所をお知りになりたいとのことでした。
 
ということで、早速調べてみました~!!(^O^)/
それぞれの宿泊場所は、以下になります☆
 
 
【5月9日 ナンシーの宿泊先】
 
『グラン・オテル・ド・ラ・レーヌ(Grand hôtel de la Reine)』
 
 
 
著作でも紹介していますが、スタニスラス広場に面して建つ優美な建物で、当時は地方長官の館、現在は高級ホテルとなっています。
ジョルジュ・ロベールの「マリー・アントワネット・ド・アプスブール-ロレーヌ、1770年5月10日 彼女のトゥールへの立ち寄りについて」という長いタイトルの記事があるのですが、その中に、9日の夜は上記建物に泊まったとあります。また、他の文献でもここに宿泊したと書いてあるのを読んだことがあるので、間違いないでしょう。
彼女の滞在を記念してかわかりませんが、このホテルの2階にある大サロンには、ヴィジェ・ルブランが描いた「バラを持つマリー・アントワネット」の絵のコピーが飾られ、暖炉の上には、王妃の胸像が置かれているそうです。
 
 
【5月10日 バール・ル・デュックの宿泊先】
 
『オテル・ド・フロランヴィル(hôtel de Florainville)』
(photo : LE PARISIEN ETUDIANT)
 
バール・ル・デュック市のサン・ピエール広場に建つ館です。
ルネサンス時代にフロランヴィル家のために建てられたもので、暫く一族が住んでいましたが、17世紀にムーズ男爵家に所有権が移り、その後1752年にバール・ル・デュック市の所有物となりました。
建物は市役所として1794年まで使用されていたので、マリー・アントワネットが1770年5月10日に来訪した時も、ここは市役所だったわけです。恐らく、要人が街へやって来た際に宿泊できるような設備が整っていたのでしょうね!
現在は市の裁判所となっているそうです。
 
 
【5月11日 シャロン・オン・シャンパーニュの宿泊先】
 
『地方長官の館(hôtel des intendants)』

 

著作の中でも紹介している、シャロンの地方長官の館だった建物で、現在は県庁として使用されています。1791年6月23日、国外亡命に失敗した国王一家がヴァレンヌからパリへ帰還する途中に泊まった館ですが、マリー・アントワネットは輿入れの際にシャロンへやって来た時にも宿泊していたんですね!

写真は、本の中で掲載している館の写真(162ページに掲載)の反対側から撮った写真を今回載せてみました。

 

 

【5月12日と13日 ソワッソンの宿泊先】

  

 『パレ・エピスコパル(Palais épiscopal)』

(photo : http://elansoissonnais.over-blog.com/2016/10/l-histoire-de-la-place-de-l-eveche-le-palais-episcopal.html

 

『パレ・エピスコパル』とは、カトリック司教の館という意味です。ソワッソン市の中心部にあるサン・ジェルヴェ-サン・プロテ大聖堂の隣に、かつて司教の住む広大な館がありました。ソワッソン市は第一次世界大戦時に街の8割が破壊されたそうで、現在、司教館はほんの一部が残るのみです。

上の写真は、左の白黒写真が第一次世界大戦直前の1914年に撮影された司教館。右が大戦から免れた建物の一部ですが、現在その場所は託児所として利用されています。エヴェシェ通りの3番地です。

当初、マリー・アントワネットがソワッソンで2泊した場所は、いくら探してもわかりませんでした。そこでソワッソンのお役所にメールで問い合わせてみたところ、古文書を取り扱う部署の責任者の方からお返事を頂き、この司教館が王太子妃の宿泊場所だと教えていただきました。

因みにこの司教館には、後にナポレオン・ボナパルトも宿泊したことがあるそうです。

 

 

ということで、ストラスブールからコンピエーニュまでの道中にマリー・アントワネットが宿泊した各場所の紹介でした。

ふと思ったのは、何十人もいたであろう随員たちはどこに泊まったのでしょう・・・^^;

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