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2020年10月6日火曜日

サヴェルヌ Saverne

ベルばらファンなら、「サベルヌ」の表記でお馴染みの「サヴェルヌ」です。ジャンヌが脱獄後に潜伏していた街ですね!

一応ね、「be」ではなく「ve」なので、私は「サヴェルヌ」と書かせていただきます^^ 

 


 サヴェルヌについて、『フランス紀行 マリー・アントワネットの足跡を探して』の著作では、19ページにさらっと書いて終わってます。マリー・アントワネットの足跡的には、ストラスブールの次に宿泊した街で、ローアン大司教所有の館、ローアン城にて1晩を過ごした…ということくらいしか、特筆することがないので^^;;

でも訪れてみるとなかなかこじんまりとした愛らしい街で、比較的大きい都市であるストラスブールからやって来ると、グっと静かで穏やかな雰囲気に心が和む感じです。

そしてベルばら好きとしては、やはりジャンヌに想いを馳せて街歩きしてしまいますね☆

 

  
街の広場

 

サヴェルヌはストラスブールの北西約40km、ナンシーの北東約90kmのところにあります。

市内をゾールヌ川とマルヌ・オー・ラン運河が流れる、水源豊かな街です。

 

 サヴェルヌ駅から歩いて数分の所を流れるゾールヌ川

 

街中を通るマルヌ・オー・ラン運河

 

マリー・アントワネットが宿泊したローアン城は、街のど真ん中にあります。

元々中世時代の司教館の廃城があった場所で、サヴェルヌが自身の管轄司教区だったルイ・ルネ・エドワール・ド・ローアン大司教が、ここに城を建設させました。しかし1779924日の夜に発生した火事で城は崩壊。これを機に前回の城よりもっと豪華絢爛な城を建設しようと決意し、工事も始まりましたが、例の首飾り事件に大司教は巻き込まれ、その後国外へ渡った為、結局このサヴェルヌの城に足を運んだのはそれほど多くありませんでした。

ただ、ローアンがブーランヴィリエ侯爵夫人を介してジャンヌ・ド・ヴァロアを紹介された場所というのは、ここサヴェルヌのローアン城だったそうです!

革命後、ナポレオン三世の治世下になると、城は戦争で夫を亡くした未亡人のための老後施設として使用され、更に牢獄、兵営としての役割を果たした後、現在は美術館等に利用されています。

ローアン城

 

ローアン城の庭園

街のど真ん中を突き抜ける《グラン・リュ(GrandRue)》が、サヴェルヌのメイン通り。

コロンバージュ(木組みの家)をはじめとした、中世のおとぎ話に出てくるような可愛らしい家が立ち並ぶ通りです^^

グラン・リュ
 
 
 

手前のフランス国旗が掲げられているのが、グラン・リュ沿いに建つ市役所の建物。
その隣の木組みの家が《メゾン・カッツ(maison Katz)》と呼ばれる家で、
サヴェルヌの中でも現存する古い家の一つ。1605年~1668年に建てられたそうです。
 
 
メゾン・カッツの前に立つブリキの像。なんかちょっと怖い^^; 
  

ローアン城のすぐ隣、高台の上には、《ノートルダム・ド・ラ・ナティヴィテ教会(Eglise Notre-Dame-de-la-Nativité)》という、1485年に建立された教会があります。

その後方に1617世紀に建てられたオーベルオフ(Oberhof)という名の建造物もくっついているのですが、上記した通り、隣のローアン城が建設される前に存在していた司教館とこの建物が、どちらも中世時代に建てられた司教館で、その時代のストラスブール司教がサヴェルヌでの居住地とした建物です。

つまり、高台の下にあった司教館はローアン城に生まれ変わり、高台の上の司教館は今も残っているというワケ^^

 

ノートルダム・ド・ラ・ナティヴィテ教会

 

教会内部
  
 

オーベルオフ
 

オーベルオフの入口付近に無造作に置かれた…棺桶?!彫像の型?!
いずれにしても、人の形にくり抜いてあるのがちと怖し(>_<)

 

さ~てさて、お次はサヴェルヌ市内にある修道院です。ということは!ここがジャンヌの潜伏先~?!なんて妄想が膨らみます()

ただですね、先に言っておきますが実際ジャンヌはサヴェルヌには潜伏していないのです。パリの牢から脱獄した後、どうやらロンドンに渡ったようです。夫が先にロンドンへ逃亡していたからでしょうね。

でもベルばらファンの方は、サヴェルヌで身を隠し生活しているジャンヌを投影させながら読んでくださって構いません(^O^)

 

レコレ派修道院及び教会(Église et cloître des Récollets

 

1303年に修道院として創設され、教会、修道士の居住用の建物、回廊などが建設されたのは1415世紀にかけてだそうです。

当初はフランシスコ修道会が入っていましたが、その後一時期イエズス会の所有となり、17世紀になって再びフランシスコ修道会が落ち着くことになりました。

しかし修道院はそのうち使われなくなり、廃墟となっていったようです。19世紀になって市の所有物となったそうなので、まさにマリー・アントワネットの時代の18世紀、ここは荒廃した修道院の建物であったわけですね!もしかしてそんなことまで調べ上げた上で、池田理代子さんはこの修道院をジャンヌの隠れ家のモデルにしたのでしょうか?!そうだとしたら、ものすごいリサーチ力ですよね!!!


修道院の回廊
 

中庭

 

『ここを教えたのは、ロザリーかい?』

という、松金よね子さんの声が蘇ってきました(笑)

 

みなさん、いかがでしたか?(^^)

 

4 件のコメント:

  1. ローアンって結構マリー・アントワネットに影響を与えていたんですね。それが歴史の面白いところですかね。
     私は首飾り事件でアントワネットの信用がなくなったので、電気を読む時、首飾り事件辺りは飛ばしたいぐらいです。それでサヴェルヌという名前を見ても、ジャンヌが隠れていた場所っていうのと結びつかなかったです。

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    1. ROCOCO様

      いつもコメントありがとうございます(^^)/

      そうなんですよ、ルイ・ルネ・エドワール・ド・ローアンとマリー・アントワネットって、結構接点があったんですよね!

      ジャンヌと結びつかなかったってことは、ベルばらでも首飾り事件のあたりはスルーされてたんですね^^;
      アニメと原作の大きな違いって、ジャンヌの描き方が最も顕著な気がするんです。アニメのジャンヌは味があって原作のジャンヌよりずーーっと好きなんです(#^^#)

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  2. TVガイドを見ていたら10月16日金曜日に、夜10時からEテレで「ドキュランドへようこそ選」があります。
    秘密のベルサイユ前編です。前にも放送があったような・・・違うかも。
    ”時代の先を行く”王妃のセンスを取り上げているので初めて見るものかも。
    ちょっと楽しみです。

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  3. ROCOCO様

    情報ありがとうございます!!(^o^)/
    観てみまーす♪

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