こんにちは!
またまたブログの読者の方からの質問にお答えすべく
新しい話題を披露いたします^^
前回の投稿「ルイ16世は包茎手術をしたか否か」のコメント欄に
yuka kono 様よりこのようなご質問を頂きました。
『ヴェルサイユ宮殿で生活している間 マリーアントワネットのドレスはどんな部屋に収納されていたのでしょうか。
それとも着用したら、すぐ下の者に払下げられていたのでしょうか。。』
早速調べてみましたが、なかなか「この部屋に収納されていました」とピンポイントで書かれている資料や文献が無く、RMN(フランス国立美術館連合)が出版している「Gazette des atours de Marie-Antoinette」という、マリー・アントワネットの衣装資料の本にも、やはり収納場所のことは書いてありませんでした。
唯一、あるフランス人が「ヴェルサイユ宮殿の見学ツアーで、マリー・アントワネットのドレスや下着を収納しておく部屋を見学しました!」と、その部屋(3部屋あるそうです)の写真入りでネットに載せているものがあったのですが、後にそのご本人が「王妃の衣装収納部屋は、1789年にトゥールゼル夫人(マリー・アントワネットの子供達の教育係)の娘、ポーリーヌの住まいになったと最近出版された本で知りました」と書いていて、じゃあ、1789年まで、そこが本当にマリー・アントワネットの衣装収納部屋だったのなら、それ以降はどこが収納部屋になったのだ?!という疑問も湧いたりで、なんだか釈然としなかったのです。
結局、「ヴェルサイユ宮殿の中のことは、ヴェルサイユ宮殿に直接訊いちゃえ!」ってことで、宮殿にメールで質問してみました(^O^)b
以下、歴史家であり、ヴェルサイユ宮殿学術研究所所長でもあるMathieu da Vinha(マチュー・ダ・ヴィナ《とお読みするのカナ?》)氏からの回答です⇓
『マリー・アントワネットの衣装収納についてですが、まず、各季節ごとに着用するドレスだけが衣装収納部屋に保管されておりまして、その年に着る1年分のドレス全てが保管されていたわけではありません。もっとも、その季節に着用したドレスは、各シーズンの終わりに、彼女のお付きの侍女たち、いわゆる『Dame d'honneur』や『Dame d'atours』にあたる高位官職の侍女たちに贈与されており、時にはもっと下位である部屋付き侍女にまで与えられることもありました。
(注:マリー・アントワネットの侍女については、『Hさんのご質問②』と『Hさんのご質問②の続き 』のところで詳しく説明しておりますので、良かったらご一読ください^^)
そしてその衣装収納場所ですが、王妃の居殿の中2階(1階と2階の間)にある3部屋で、現在は、ポーリーヌ・ド・トゥールゼルに充てがわれた部屋と言われている部分になります。王太子妃時代の衣装収納部屋も同じく中2階にあり、2階にある『図書の間』と『午睡の間』(『ヴェルサイユ宮殿の隠れた部屋』にある見取り図の9、11、12番)の真下になります。
また、南翼棟の庭園に面した側の屋根裏部屋にも衣装収納部屋があり、そこは召使たちの仕事場だったと考えられている所です。』
と、大変ご丁寧に教えて頂きました(^O^)
ポーリーヌ・ド・トゥールゼルが住んでいた部屋ということですから、上記したフランス人の言っている3部屋で間違いなさそうですね!(ただその方は、その部屋は中2階ではなく、3階だったと書いていましたが・・・)
私もすーんごい昔にポーリーヌの部屋を見学したことがあるのですが、あそこがマリー・アントワネットのドレスをしまっておいた部屋だったのかぁ~!もしかしたらその時、ガイドさんからそんな説明があったのかもしれませんが、すっかり忘れておりました^^;よく覚えているのは、その部屋の真上が王妃の私室なので、王妃の秘密の話などが下にいるポーリーヌにダダ洩れだった、とガイドさんが話していたことです^^
ポーリーヌが1789年に衣裳部屋を‟占拠”したとすると、マチューさんのおっしゃる南翼棟の屋根裏部屋が、その後の衣裳部屋ということでしょうかね。
yukaさん、いかがでしたでしょうか?^^
因みに、お返事をくださったマチューさん、なんとも偶然なことに、この5月にマリー・アントワネットの衣装収納部屋に関する書籍を出版するそうですよ!!
Amazonで買えたら、買ってみようと思います♪
フランス王妃、マリー・アントワネットが送った人生をフランス各地に見るべく、彼女が初めて踏んだフランスの地、ストラスブールからの足取りを追った旅行記を、以前から出版したいと思っていました。 取材と研究を重ね、ストラスブールから彼女の終焉の地、サン・ドニまでを実際に旅し、2010年末に紀行文を書き上げました。タイトルは《フランス紀行 マリー・アントワネットの足跡を探して》 名も無い一個人の原稿がそう簡単に世に出回るとは思っておりません。 それでも!出版への道が皆無でないなら、ダメ元でも挑戦したい!! そして、フランス好き、マリー・アントワネット好きの方々に、是非自分の本を読んで頂きたい!! ということで、今年2011年は夢を叶えるべく奮闘します!!ブログでその様子をご紹介! 実現するかどうか、一緒に見守って頂ければ幸いです!! ***** そしてついに!!2020年8月、本がamazonにて発売開始となりました!!
depuis Janvier 2011
2018年1月27日土曜日
2018年1月15日月曜日
ルイ16世は包茎手術をしたか否か?
皆様こんにちは!
ブログ立ち上げ当初の勢いはなくなっていますが
細々とこのブログも続けております^^;
もちろん、出版の夢もあきらめておりませんよ!^^
ところで、一つ前の記事『マリー・テレーズ(マダム・ロワイヤル)の遺書』のコメント欄に
miyo様から
『ルイ16世は身体的事情でマリーアントワネットとの子供がなかなか授からなかったと日本のウィキペディアには書いてあったのですが、数年前にテレビ番組で大好きな狩猟を休んだ記録がないから手術はしていないと言っていたのですが、kayoさんの見解は手術をしていたということでしょうか?』
とのご質問を頂きました。
「ルイ16世の身体的事情」が何かをご存知無い方のために簡単の説明しますと
要するに彼は「包茎」だったのですね^^;
その為、ルイ16世は妻、マリー・アントワネットとの子作りの際に苦痛を伴い、行為が遂行できず、よって婚姻後7年経っても世継ぎが残せないでいた・・・と一般的に言われているわけでございます。
私がこれまで読んできた書籍や文献には、ルイ16世は「包茎手術をした」と記述されているものが多かった…というより、手術によって「夫の役目」が果たせるようになったという通説を前提として書かれているものが多かったように思います。
実際、結婚以来、7年間「夜の営み」がうまく遂行されないでいたのは事実で、この「営み」がきちんと「成された」のは、1777年8月18日月曜日と言われています。(オフィシャルにそんな『記念日』が後世にまで残ってしまうなんて^^;;)これはマリー・アントワネットが8月30日に母親に宛てた手紙の内容や、メルシー伯爵の報告等からわかるのですけどね^^;そして翌年、マリー・アントワネットは無事妊娠しています。
なので、それまでうまくいっていなかった「営み」が突如としてうまくいくようになったきっかけとして、
前記事のコメント欄にも書きましたが、この問題の解決のために、マリー・アントワネットの兄ヨーゼフ2世が、わざわざオーストリアからフランスへ来て義弟に発破をかけたという経緯があり、それを受けて『手術』という、決定的なものがあったものと信じ込んでいました。
しかし今回をきっかけに改めて調べてみると・・・
なんと、『手術をした』という記述のある当時の資料等が、実は何も無い!!
そうなんです。オフィシャルな文献は元より、ルイ16世本人が書いた日記の中、他の王族や側近による書簡、回想録等々、どこを探しても、ルイ16世が包茎手術をしたなんて記述は一切無いんです!!
有名なフランスの歴史学者フィリップ・ドゥロルムも書いているように
多くの歴史家は『1777年に来仏したヨーゼフ2世の強い勧めにより
ルイ16世は包茎手術を受けることに同意した』と主張しており、それが定説になっているのは事実です。(それが史実なのだと信じていました)
しかし、先に書いた通り、実際に手術したことを証明する文献や資料は、どうやら何も残ってないのですね(汗)
唯一、ルイ16世の担当外科医であったジョゼフ・マリー・フランソワ・ド・ラソンヌ医師が
1782年9月に、ルイ16世の陰茎の筋を切開する手術をしたと‟思われる”文献はあったのですけど、マリー・アントワネットが第一子のマリー・テレーズ王女を出産したのが1778年12月ですから
仮にこの手術が本当に行われていたとしても、それは長らく遂行されなかった「営み」が達成するきっかけとなった手術ではないわけですよね。
因みにフランスのウィキペディアには、ラソンヌ医師と、パリのオテル・デューの外科医、モロー医師の両者が、ルイ16世は(身体的に)いかなる不能もなく、(包茎)手術の必要は無いという考えを示した、との記述があり、同じことが他の資料や文献でも見られました。
そもそも、国王が包茎だったということにも疑問を唱えている歴史家、アマチュア研究家の意見も散見され、「営み」が7年間遂行されなかったのは、包茎のせいなんかではなく、単に性への目覚めが遅れていたから、ルイ16世の奥手な性格故、という意見も多かったです。そして、妻の寝室へ出向こうにも、常に宮廷人がウロウロしている『牛眼の間』(ヴェルサイユ宮殿の、国王の居殿と王妃の居殿を繋ぐ大広間)を通らなければならなかったので、彼らから好奇の目で見られるのが嫌だったからとも。
いやぁ~私もいわゆる通説を信じ切っていて、こういった見解が出ているとは知りませんでした。
勉強不足であったと反省しております(汗)
2007年に書かれたフランスのあるネット掲示板に、「ルイ16世は手術をしていないのではないか」という見解を持ったアマチュア歴史家のディスカッションが交わされており、 その中の一人が「ルイ16世は(性行為ができるようになるための)手術をしたという痕跡は何も無い。その代わり、ルイ16世は『狩り』をすることも、『馬の上に乗る』ことも、やめたことは一度もなかった」なーんて、フランス人らしい(?)エスプリを効かせた書き込みをしておりました(笑)
まあ、エスプリはこの際置いておいたとして、実際に「狩猟を休んだ記録が無いことから、手術はしていないだろう」という見解ってあるのでしょうね!(私は今回、そういった記述は残念ながら見つけられなかったですが-_-)
ということで、miyoさん、今日いろいろ調べてみたことを踏まえると
「手術をしていない」可能性の方が、実は高いかなと思い始めています。
真実は誰にもわかりませんが、そう考える方が妥当かな・・・という考えに変わりました^^;
今回このような勉強をできて良かったです。きっかけを下さり、ありがとうございました。
ブログ立ち上げ当初の勢いはなくなっていますが
細々とこのブログも続けております^^;
もちろん、出版の夢もあきらめておりませんよ!^^
ところで、一つ前の記事『マリー・テレーズ(マダム・ロワイヤル)の遺書』のコメント欄に
miyo様から
『ルイ16世は身体的事情でマリーアントワネットとの子供がなかなか授からなかったと日本のウィキペディアには書いてあったのですが、数年前にテレビ番組で大好きな狩猟を休んだ記録がないから手術はしていないと言っていたのですが、kayoさんの見解は手術をしていたということでしょうか?』
とのご質問を頂きました。
「ルイ16世の身体的事情」が何かをご存知無い方のために簡単の説明しますと
要するに彼は「包茎」だったのですね^^;
その為、ルイ16世は妻、マリー・アントワネットとの子作りの際に苦痛を伴い、行為が遂行できず、よって婚姻後7年経っても世継ぎが残せないでいた・・・と一般的に言われているわけでございます。
私がこれまで読んできた書籍や文献には、ルイ16世は「包茎手術をした」と記述されているものが多かった…というより、手術によって「夫の役目」が果たせるようになったという通説を前提として書かれているものが多かったように思います。
実際、結婚以来、7年間「夜の営み」がうまく遂行されないでいたのは事実で、この「営み」がきちんと「成された」のは、1777年8月18日月曜日と言われています。(オフィシャルにそんな『記念日』が後世にまで残ってしまうなんて^^;;)これはマリー・アントワネットが8月30日に母親に宛てた手紙の内容や、メルシー伯爵の報告等からわかるのですけどね^^;そして翌年、マリー・アントワネットは無事妊娠しています。
なので、それまでうまくいっていなかった「営み」が突如としてうまくいくようになったきっかけとして、
前記事のコメント欄にも書きましたが、この問題の解決のために、マリー・アントワネットの兄ヨーゼフ2世が、わざわざオーストリアからフランスへ来て義弟に発破をかけたという経緯があり、それを受けて『手術』という、決定的なものがあったものと信じ込んでいました。
しかし今回をきっかけに改めて調べてみると・・・
なんと、『手術をした』という記述のある当時の資料等が、実は何も無い!!
そうなんです。オフィシャルな文献は元より、ルイ16世本人が書いた日記の中、他の王族や側近による書簡、回想録等々、どこを探しても、ルイ16世が包茎手術をしたなんて記述は一切無いんです!!
有名なフランスの歴史学者フィリップ・ドゥロルムも書いているように
多くの歴史家は『1777年に来仏したヨーゼフ2世の強い勧めにより
ルイ16世は包茎手術を受けることに同意した』と主張しており、それが定説になっているのは事実です。(それが史実なのだと信じていました)
しかし、先に書いた通り、実際に手術したことを証明する文献や資料は、どうやら何も残ってないのですね(汗)
唯一、ルイ16世の担当外科医であったジョゼフ・マリー・フランソワ・ド・ラソンヌ医師が
1782年9月に、ルイ16世の陰茎の筋を切開する手術をしたと‟思われる”文献はあったのですけど、マリー・アントワネットが第一子のマリー・テレーズ王女を出産したのが1778年12月ですから
仮にこの手術が本当に行われていたとしても、それは長らく遂行されなかった「営み」が達成するきっかけとなった手術ではないわけですよね。
因みにフランスのウィキペディアには、ラソンヌ医師と、パリのオテル・デューの外科医、モロー医師の両者が、ルイ16世は(身体的に)いかなる不能もなく、(包茎)手術の必要は無いという考えを示した、との記述があり、同じことが他の資料や文献でも見られました。
そもそも、国王が包茎だったということにも疑問を唱えている歴史家、アマチュア研究家の意見も散見され、「営み」が7年間遂行されなかったのは、包茎のせいなんかではなく、単に性への目覚めが遅れていたから、ルイ16世の奥手な性格故、という意見も多かったです。そして、妻の寝室へ出向こうにも、常に宮廷人がウロウロしている『牛眼の間』(ヴェルサイユ宮殿の、国王の居殿と王妃の居殿を繋ぐ大広間)を通らなければならなかったので、彼らから好奇の目で見られるのが嫌だったからとも。
いやぁ~私もいわゆる通説を信じ切っていて、こういった見解が出ているとは知りませんでした。
勉強不足であったと反省しております(汗)
2007年に書かれたフランスのあるネット掲示板に、「ルイ16世は手術をしていないのではないか」という見解を持ったアマチュア歴史家のディスカッションが交わされており、 その中の一人が「ルイ16世は(性行為ができるようになるための)手術をしたという痕跡は何も無い。その代わり、ルイ16世は『狩り』をすることも、『馬の上に乗る』ことも、やめたことは一度もなかった」なーんて、フランス人らしい(?)エスプリを効かせた書き込みをしておりました(笑)
まあ、エスプリはこの際置いておいたとして、実際に「狩猟を休んだ記録が無いことから、手術はしていないだろう」という見解ってあるのでしょうね!(私は今回、そういった記述は残念ながら見つけられなかったですが-_-)
ということで、miyoさん、今日いろいろ調べてみたことを踏まえると
「手術をしていない」可能性の方が、実は高いかなと思い始めています。
真実は誰にもわかりませんが、そう考える方が妥当かな・・・という考えに変わりました^^;
今回このような勉強をできて良かったです。きっかけを下さり、ありがとうございました。
2017年8月8日火曜日
マリー・テレーズ(マダム・ロワイヤル)の遺書
こんにちは!毎日お暑ぅございます><
Shikaba Yuko様、フォロワーになって下さいまして、ありがとうございます!!
なかなか更新できませんが、今後とも宜しくお願いいたします( ◠‿◠ )
さてさて、マリー・テレーズが死後100年したら公開して欲しいと言い残した手紙の件、ようやく調べがつきました!
コレ、手紙というより、『遺書』でした^^; だから『Madame Royale lettre cent ans(マダム・ロワイヤル、手紙、100年)』と検索しても、うまくヒットしなかったのでしたー(ToT)
でも、もしかして遺書?と思って、『lettre(手紙)』のところを『testament(遺書)』にしてみたら
ビンゴ(^◇^)/ 出てきましたよ~^^
因みに『Marie-Thérèse(マリー・テレーズ)』と、仏語のページで検索すると
マリー・アントワネットのお母さんのマリア・テレジアの方がドバーっと出てきちゃいます。
フランスでは、『マリー・テレーズ』と言うと、テレジア母さんの方になるので・・・
(ご存知の通り、マリー・アントワネットが敬愛する母の名を娘につけたから、同じ名前なのですが)
なので、フランスでは娘のマリー・テレーズの方は、一般的にマダム・ロワイヤルとか
マリー・テレーズ・ド・フランス(オーストリアのマリー・テレーズではなく、フランスのマリー・テレーズという区別をして)なんて呼ばれています。
で、問題の遺書ですが、開封されているようです。
ただ、彼女の遺言通り、死後100年経って開封されたのではなく、50年後に開封された・・・
なんて記述がありましたが・・・。
また、フランス外務省の公文書として残されていたわけではないそうで、
どうやらオフィシャルには『マダム・ロワイヤルの遺書』と認められてはいないようです。
遺書の内容は、ROCOCOさんのご指摘通り、夫と義父の板挟みにあっての愚痴や恨み節が綴られていたそうで、特に歴史的にビッグニュースになるような内容は何もなかったとか。
とりわけ歴史家をがっかりさせたのが、弟ルイ17世に関する新事実が何かしら解明されるかと思いきや、弟についてな~んにも書いてなかったことだそうです。
現在その遺書がどこに保管されているか、どこにも記述が見当たらなかったのをみると
これもROCOCOさんのおっしゃる通り、行方不明になっているのかもしれませんね!
ミミさん、これくらいしかわかりませんでしたが、いかがでしょう?^^;
Shikaba Yuko様、フォロワーになって下さいまして、ありがとうございます!!
なかなか更新できませんが、今後とも宜しくお願いいたします( ◠‿◠ )
さてさて、マリー・テレーズが死後100年したら公開して欲しいと言い残した手紙の件、ようやく調べがつきました!
コレ、手紙というより、『遺書』でした^^; だから『Madame Royale lettre cent ans(マダム・ロワイヤル、手紙、100年)』と検索しても、うまくヒットしなかったのでしたー(ToT)
でも、もしかして遺書?と思って、『lettre(手紙)』のところを『testament(遺書)』にしてみたら
ビンゴ(^◇^)/ 出てきましたよ~^^
因みに『Marie-Thérèse(マリー・テレーズ)』と、仏語のページで検索すると
マリー・アントワネットのお母さんのマリア・テレジアの方がドバーっと出てきちゃいます。
フランスでは、『マリー・テレーズ』と言うと、テレジア母さんの方になるので・・・
(ご存知の通り、マリー・アントワネットが敬愛する母の名を娘につけたから、同じ名前なのですが)
なので、フランスでは娘のマリー・テレーズの方は、一般的にマダム・ロワイヤルとか
マリー・テレーズ・ド・フランス(オーストリアのマリー・テレーズではなく、フランスのマリー・テレーズという区別をして)なんて呼ばれています。
で、問題の遺書ですが、開封されているようです。
ただ、彼女の遺言通り、死後100年経って開封されたのではなく、50年後に開封された・・・
なんて記述がありましたが・・・。
また、フランス外務省の公文書として残されていたわけではないそうで、
どうやらオフィシャルには『マダム・ロワイヤルの遺書』と認められてはいないようです。
遺書の内容は、ROCOCOさんのご指摘通り、夫と義父の板挟みにあっての愚痴や恨み節が綴られていたそうで、特に歴史的にビッグニュースになるような内容は何もなかったとか。
とりわけ歴史家をがっかりさせたのが、弟ルイ17世に関する新事実が何かしら解明されるかと思いきや、弟についてな~んにも書いてなかったことだそうです。
現在その遺書がどこに保管されているか、どこにも記述が見当たらなかったのをみると
これもROCOCOさんのおっしゃる通り、行方不明になっているのかもしれませんね!
ミミさん、これくらいしかわかりませんでしたが、いかがでしょう?^^;
2017年3月8日水曜日
『池田理代子 麗しの世界』デビュー50周年&ベルばら45周年記念ムック本発売!!
いやー大変ご無沙汰しております!!
何年振りの投稿でしょうか^^;
なかなかブログまで手が回らない生活を送っていますが
とりあえずちゃんと生きています^^;;
今日は、タイトルにある本の紹介です。
ご存知、『ベルサイユのばら』の作者、池田理代子氏のデビュー50周年
及び『ベルばら』45周年を記念して
宝島社より一昨日3月6日に発売されたムック本です。
『ベルサイユのばら』『オルフェウスの窓』を柱に、池田理代子全作品の魅力が紹介されており
何年振りの投稿でしょうか^^;
なかなかブログまで手が回らない生活を送っていますが
とりあえずちゃんと生きています^^;;
今日は、タイトルにある本の紹介です。
ご存知、『ベルサイユのばら』の作者、池田理代子氏のデビュー50周年
及び『ベルばら』45周年を記念して
宝島社より一昨日3月6日に発売されたムック本です。
『ベルサイユのばら』『オルフェウスの窓』を柱に、池田理代子全作品の魅力が紹介されており
池田理代子先生ご自身のほか、宝塚で『ベルばら』に係った関係者や池田理代子ファンの著名人の方々のインタビューも織り交ぜ、麗しい世界観を浮き彫りにした本となっています。
実は、僭越ながら、私もこの本の製作に協力させて頂きました^^
"『ベルばら』ゆかりの地 フランス紀行~登場人物の足跡を訪ねて~"
というページのところで、写真提供と、それぞれの写真のキャプションを書かせて頂いております。6ページ分あります^^
ベルばらファン、池田理代子ファンの方々のツボをぐいぐい押す作品だと思いますので
是非お手に取ってみて下さい^^
2014年8月5日火曜日
またテレビに出ます^^
あまりにも久しぶりな書き込みなので
どなたも読んで下さらないかもですが・・・^^;
実は今夜、再びBS11局にて、テレビにちょっと出ます。
21時~の『報道ライブ21 INsideOUT』という番組の中です。
http://www.bs11.jp/news/2513/
フランスと日本における、子育ての違いなどについて語られるそうですが
両国で出産・育児経験があるということで、インタビューを受けました。
もしお時間があったら、ご視聴下さい^^
どなたも読んで下さらないかもですが・・・^^;
実は今夜、再びBS11局にて、テレビにちょっと出ます。
21時~の『報道ライブ21 INsideOUT』という番組の中です。
http://www.bs11.jp/news/2513/
フランスと日本における、子育ての違いなどについて語られるそうですが
両国で出産・育児経験があるということで、インタビューを受けました。
もしお時間があったら、ご視聴下さい^^
2012年9月25日火曜日
放送を見て下さった方、ありがとうございます!!
まずは、新たに読者登録して下さったKunikoさん、どうもありがとうございます!!
思いがけずこんなところで再会ですね!
23日の放送、無事に終了いたしました。
見て下さった方、本当にどうもありがとうございます!!
なんだか風船みたいにパンパンに張った顔が
とってもお恥かしい限りでしたが
内容的にはさすが、コンパクトにうまく編集して頂きました^^;
ほんの1分程度の露出でしたけど
これがきっかけとなって、少しでも出版に繋がったら嬉しいです・・・。
(ん~・・・そう簡単にはいかないでしょうケドね・・・><)
今1社、挑戦しているところがあるのですが
そこから良い返事が来るといいな・・・

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思いがけずこんなところで再会ですね!
23日の放送、無事に終了いたしました。
見て下さった方、本当にどうもありがとうございます!!
なんだか風船みたいにパンパンに張った顔が
とってもお恥かしい限りでしたが
内容的にはさすが、コンパクトにうまく編集して頂きました^^;
ほんの1分程度の露出でしたけど
これがきっかけとなって、少しでも出版に繋がったら嬉しいです・・・。
(ん~・・・そう簡単にはいかないでしょうケドね・・・><)
今1社、挑戦しているところがあるのですが
そこから良い返事が来るといいな・・・
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2012年9月12日水曜日
無事に撮影終了!しかし・・・
こんな時ばっかり
すぐにブログ更新をしたりしてますが・・・^^;
前回お話しましたTV出演の件
昨日、無事に撮影が終了しました。
私の本業をやっている姿と
『マリー・アントワネットの足跡を探して』の作品を編集している作業風景、
そしてインタビューの収録となりました。
インタビューは、正直、自分としては全然納得のいかないものでした><
慣れないことしたので緊張してしまったのか
エアコンの音がうるさかったために
オフにして蒸し暑さでちょっとボーっとした中インタビューを受けたからか
カメラさんが途中でえらい咳き込んでしまわれたので
大丈夫かな?!なんてそちらが気になってしまって
返答の方に集中できなかったためか
とにかく、あまりまともな受け答えができず
本来自分の言いたかったことをピンポイントで表現できなかったと
今とっても悔やんでいます。。。(-_-;)
まあ、編集されるので
気にするほど、実際には放送で使われないかも~とは思いますけどね^^;
それでも、自分で納得のいくインタビューでなかったのは
どうにも消化不良状態です。。。
そんなこんなでありましたが
放送は9月23日(日)18h00~18h55
BS11 報道プレミアム『ジュピターの英雄』です。

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すぐにブログ更新をしたりしてますが・・・^^;
前回お話しましたTV出演の件
昨日、無事に撮影が終了しました。
私の本業をやっている姿と
『マリー・アントワネットの足跡を探して』の作品を編集している作業風景、
そしてインタビューの収録となりました。
インタビューは、正直、自分としては全然納得のいかないものでした><
慣れないことしたので緊張してしまったのか
エアコンの音がうるさかったために
オフにして蒸し暑さでちょっとボーっとした中インタビューを受けたからか
カメラさんが途中でえらい咳き込んでしまわれたので
大丈夫かな?!なんてそちらが気になってしまって
返答の方に集中できなかったためか
とにかく、あまりまともな受け答えができず
本来自分の言いたかったことをピンポイントで表現できなかったと
今とっても悔やんでいます。。。(-_-;)
まあ、編集されるので
気にするほど、実際には放送で使われないかも~とは思いますけどね^^;
それでも、自分で納得のいくインタビューでなかったのは
どうにも消化不良状態です。。。
そんなこんなでありましたが
放送は9月23日(日)18h00~18h55
BS11 報道プレミアム『ジュピターの英雄』です。
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2012年9月8日土曜日
テレビに出ます(*^_^*)
みなさん、お久しぶりです^^;
相変わらず更新していないKayoです^^;;
早速ですがタイトルの件、
実はこの度、BS11で放送されている「ジュピターの英雄」という番組に
ちょこっとだけ出演することになりました*^^*
といっても、VTR映像で、本当に1分出るか出ないか程度のようですが^^;
放送日は9月23日(日)、18時~18時55分で
今年連載40周年を迎えた、マンガ「ベルサイユのばら」の作者、
言わずと知れた池田理代子さんをゲストに迎えての
作品誕生秘話などを紹介する番組とのことです。
番組公式サイト
http://www.bs11.jp/news/1693/
私のVTR撮影は来週火曜日に行われる予定です。
急に決まったお話なので、昨日はボサボサの髪を急いで切りに行ったり(笑)
ただ、髪はすぐさまサッパリ切ることができても
体中にくっついたムチムチのお肉は、すぐさま落とせない(T_T)
『あぁ~こんなことなら、もっとまじめにダイエットしておけば良かった(>_<;)・・・』
と、今とっても後悔しているトコです、ハイ。。。
それから、個人的なことではありますが
実はこの度、日本へ完全帰国いたしました。
ずっとブログが更新できなかった理由の1つが
この急に決まった帰国のせいで、バタバタしていたからというのがあります。。。
帰国してからも、ずっとバタバタが続いておりますが・・・(-_-;)
番組の中でも、日本在住で紹介されますので
変な風に誤解される前に、ひとまずご報告しておきます~^^
このブログを見にいらして下さる方なら
きっとベルばらにもご興味がお有りだと思いますので
私なんぞが映る、映らないの前に
今回の番組はとても面白いのではないかと思います^^
みなさん、是非ご覧になって下さいね!
相変わらず更新していないKayoです^^;;
早速ですがタイトルの件、
実はこの度、BS11で放送されている「ジュピターの英雄」という番組に
ちょこっとだけ出演することになりました*^^*
といっても、VTR映像で、本当に1分出るか出ないか程度のようですが^^;
放送日は9月23日(日)、18時~18時55分で
今年連載40周年を迎えた、マンガ「ベルサイユのばら」の作者、
言わずと知れた池田理代子さんをゲストに迎えての
作品誕生秘話などを紹介する番組とのことです。
番組公式サイト
http://www.bs11.jp/news/1693/
私のVTR撮影は来週火曜日に行われる予定です。
急に決まったお話なので、昨日はボサボサの髪を急いで切りに行ったり(笑)
ただ、髪はすぐさまサッパリ切ることができても
体中にくっついたムチムチのお肉は、すぐさま落とせない(T_T)
『あぁ~こんなことなら、もっとまじめにダイエットしておけば良かった(>_<;)・・・』
と、今とっても後悔しているトコです、ハイ。。。
それから、個人的なことではありますが
実はこの度、日本へ完全帰国いたしました。
ずっとブログが更新できなかった理由の1つが
この急に決まった帰国のせいで、バタバタしていたからというのがあります。。。
帰国してからも、ずっとバタバタが続いておりますが・・・(-_-;)
番組の中でも、日本在住で紹介されますので
変な風に誤解される前に、ひとまずご報告しておきます~^^
このブログを見にいらして下さる方なら
きっとベルばらにもご興味がお有りだと思いますので
私なんぞが映る、映らないの前に
今回の番組はとても面白いのではないかと思います^^
みなさん、是非ご覧になって下さいね!
2012年6月23日土曜日
こんなに放置してしまったとは・・・!!
なんと半年以上ぶりの更新です(>_<;)
「新しいネタ、書いてあるかな?」っと何度も覗きに来て下さった方
裏切り続けてしまってゴメンナサイ!!!
また、偶然このブログに辿り着いて
過去ログを読んで下さった方
どうもありがとうございます!!!
そしてこんなに放置していた間に
新規に読者登録して下さったHanakoさん
本当にありがとうございます!!!
久しぶりの書き込みなのに
マリー・アントワネットのお話無しで
大変恐縮しておりますが
Hさんのご質問の件を含め
必ず!絶対に!また書き込みをしますので
「この人もう、ブログやる気無し夫なんじゃ?!」
なんて思わないで下さいね(>_<)
・・・と、こんな挨拶だけの更新でした(汗)

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「新しいネタ、書いてあるかな?」っと何度も覗きに来て下さった方
裏切り続けてしまってゴメンナサイ!!!
また、偶然このブログに辿り着いて
過去ログを読んで下さった方
どうもありがとうございます!!!
そしてこんなに放置していた間に
新規に読者登録して下さったHanakoさん
本当にありがとうございます!!!
久しぶりの書き込みなのに
マリー・アントワネットのお話無しで
大変恐縮しておりますが
Hさんのご質問の件を含め
必ず!絶対に!また書き込みをしますので
「この人もう、ブログやる気無し夫なんじゃ?!」
なんて思わないで下さいね(>_<)
・・・と、こんな挨拶だけの更新でした(汗)
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2011年11月27日日曜日
Hさんのご質問④
2ヵ月も間を空けてしまいました(>_<)
「更新されてるかな?」と時々覗きに来て下さってる皆様
本当にごめんなさい!!
&忘れないでいて下さってありがとうございます<(_ _)>
また、この間に読者登録して下さったにゃんすけさん、どうもありがとうございます!!
折角ご登録頂いたのに、更新せずに失礼いたしました。。
今日は、Hさんのご質問④です!
ご質問頂いてから随分時間が経ってしまっています(>_<;)
そのご質問とは・・・
「④プチトリアノンに出入りを許された人物とは?
トリアノンとは、そもそもこの地に存在していた村の名前です。
1668 年にルイ14 世がこの村を買い取り、ヴェルサイユの領地に併合しました。
その二年後、ここに青と白の磁器版に覆われた小さな館を建設したのですが
この磁器版は大変脆く、すぐにはがれ落ちてしまったそうです。
そこで、1687年に館の建て替えが行われ
今度はピンク色の大理石装飾による館に生まれ変わりました。
これが現在“グラン・トリアノン”と呼ばれる離宮です。
もっとも、マリー・アントワネットはグラン・トリアノンを
あまり重要視しなかったようで
ここには彼女の面影はほとんど見られません。
王妃は、それよりもずっと小規模な館である“プチ・トリアノン”を
こよなく愛しました。
そのプチ・トリアノンは、グラン・トリアノンから歩いて数分の場所にあります。
1763 年、国王ルイ15 世の当時の愛妾であった
ポンパドゥール侯爵夫人の願いにより
国王は建築家アンジュ・ジャック・ガブリエルに小さな城館の建設を命じました。
しかしながら、夫人はその完成を見ることなく
翌年42 歳でこの世を去ってしまいます。
それでも建設工事は続けられ、1768 年についに終わりを告げます。
ポンパドゥール夫人の後に国王の寵姫の座を占有したデュ・バリー夫人は
この新築の館を手に入れましたが、王の昇天によって
当然のことながらその所有権を失い
館は新たに国王に君臨したルイ16 世の手に渡ります。
そして彼は即位後すぐ、王妃であるマリー・アントワネットに
この城館を贈ったのでした。
王妃は、ここでは一切の宮廷儀礼は無し、
そして彼女が招待した者以外は足を踏み入れることができないという
自身の自由を完全に確保した場所としました。
夫であり、国王であるルイ16世ですら、妻の許可無く
勝手にプチ・トリアノンへ入ることはできなかったのです。
マリー・アントワネットの義弟で
後のフランス国王シャルル10世となるアルトワ伯爵。
コワニー公爵。
マリー・アントワネットの側近の一人として有名な人物です。
王妃の恋人というと、フェルセンをすぐ思い浮かべると思いますが、実はコワニー公爵との噂も存在したそうです。
ギネス公爵。
王妃の側近の一人。
ブーザンヴァル男爵。
王妃の側近の一人。
そして肖像画は無いのですが
ヴァランタン・エステルハージ伯爵という人物も
王妃の「内輪の会」に入っていたメンバーですので
まず間違いなくプチ・トリアノン出入り許可をもらえた人物でしょう。
余談ですが、彼は、1770年3月に
間もなくフランスへ王太子妃として輿入れする
マリー・アントワネットが待つウィーンまで
ルイ・オーギュスト王太子の肖像画を届けに行ったりしてます。
もう一つ、さらに余談ですが
上記のコワニー公爵、ギネス公爵、
ブーザンヴァル男爵、エステルハージ伯爵の4男子は
1779年3月31日に、マリー・アントワネットが麻疹にかかって
寝室に隔離された際
王妃の枕元で看病するのを当然の権利として主張し
隣室に寝泊りしながら、王妃の要求にすぐさま応える
『王妃の看病役』を担ったとか。
この時、王妃は夫のルイとは
バルコニー越しで会話したそうです・・・。
そして忘れちゃいけません!
フェルセン伯爵。
以上の人物は、王妃のプチ・トリアノン滞在時の様子を語る記述に
名前がよく出てくる人物ですので
出入りを自由に許された人物、
要はプチ・トリアノンの主要メンバーと考えて
まず間違いない人たちです。
その他、プチ・トリアノン出入りOK組に入った人物については
また次回にお話しますね!
「更新されてるかな?」と時々覗きに来て下さってる皆様
本当にごめんなさい!!
&忘れないでいて下さってありがとうございます<(_ _)>
また、この間に読者登録して下さったにゃんすけさん、どうもありがとうございます!!
折角ご登録頂いたのに、更新せずに失礼いたしました。。
今日は、Hさんのご質問④です!
ご質問頂いてから随分時間が経ってしまっています(>_<;)
そのご質問とは・・・
「④プチトリアノンに出入りを許された人物とは?
ポリニャック公爵夫人、エリザベート内親王の他にわかる方がいましたら
教えて頂けませんでしょうか?」
でしたね。
その前に、プチ・トリアノンについて簡単にご説明しておきます。
жжж
1668 年にルイ14 世がこの村を買い取り、ヴェルサイユの領地に併合しました。
その二年後、ここに青と白の磁器版に覆われた小さな館を建設したのですが
この磁器版は大変脆く、すぐにはがれ落ちてしまったそうです。
そこで、1687年に館の建て替えが行われ
今度はピンク色の大理石装飾による館に生まれ変わりました。
これが現在“グラン・トリアノン”と呼ばれる離宮です。
もっとも、マリー・アントワネットはグラン・トリアノンを
あまり重要視しなかったようで
ここには彼女の面影はほとんど見られません。
王妃は、それよりもずっと小規模な館である“プチ・トリアノン”を
こよなく愛しました。
そのプチ・トリアノンは、グラン・トリアノンから歩いて数分の場所にあります。
1763 年、国王ルイ15 世の当時の愛妾であった
ポンパドゥール侯爵夫人の願いにより
国王は建築家アンジュ・ジャック・ガブリエルに小さな城館の建設を命じました。
しかしながら、夫人はその完成を見ることなく
翌年42 歳でこの世を去ってしまいます。
それでも建設工事は続けられ、1768 年についに終わりを告げます。
ポンパドゥール夫人の後に国王の寵姫の座を占有したデュ・バリー夫人は
この新築の館を手に入れましたが、王の昇天によって
当然のことながらその所有権を失い
館は新たに国王に君臨したルイ16 世の手に渡ります。
そして彼は即位後すぐ、王妃であるマリー・アントワネットに
この城館を贈ったのでした。
王妃は、ここでは一切の宮廷儀礼は無し、
そして彼女が招待した者以外は足を踏み入れることができないという
自身の自由を完全に確保した場所としました。
夫であり、国王であるルイ16世ですら、妻の許可無く
勝手にプチ・トリアノンへ入ることはできなかったのです。
жжж
というわけで、マリー・アントワネットが出入りを許可した人物はといいますと・・・
![]() |
| ヴィジェ・ルブラン画(1782年) 「ヨランド・ガブリエル・マルティーヌ・ド・ ポラストロン ポリニャック公爵夫人」 (ヴェルサイユ宮殿美術館蔵) |
言わずと知れた
王妃の親友ポリニャック夫人。
王妃の親友ポリニャック夫人。
| フランソワ・パスカル・シモン・ジェラール画(1825年) 「正装姿のシャルル10世」 (プラド美術館蔵) |
マリー・アントワネットの義弟で
後のフランス国王シャルル10世となるアルトワ伯爵。
| ルージェ・ジョルジュ画(1825年) 「マリー・アンリ・フランソワ・ド・フランケト、コワニー公爵」 (ヴェルサイユ宮殿美術館蔵) |
コワニー公爵。
マリー・アントワネットの側近の一人として有名な人物です。
王妃の恋人というと、フェルセンをすぐ思い浮かべると思いますが、実はコワニー公爵との噂も存在したそうです。
![]() |
| ヴィジェ・ルブラン画(?年) 「アドリアン・ルイ・ド・ギネス公爵」 (所蔵先不明) |
ギネス公爵。
王妃の側近の一人。
![]() |
| アンリ・ピエール・ダンルー画(1791年) 「自身の客間にいるブーザンヴァル男爵」 (ナショナル・ギャラリー蔵) |
ブーザンヴァル男爵。
王妃の側近の一人。
そして肖像画は無いのですが
ヴァランタン・エステルハージ伯爵という人物も
王妃の「内輪の会」に入っていたメンバーですので
まず間違いなくプチ・トリアノン出入り許可をもらえた人物でしょう。
余談ですが、彼は、1770年3月に
間もなくフランスへ王太子妃として輿入れする
マリー・アントワネットが待つウィーンまで
ルイ・オーギュスト王太子の肖像画を届けに行ったりしてます。
もう一つ、さらに余談ですが
上記のコワニー公爵、ギネス公爵、
ブーザンヴァル男爵、エステルハージ伯爵の4男子は
1779年3月31日に、マリー・アントワネットが麻疹にかかって
寝室に隔離された際
王妃の枕元で看病するのを当然の権利として主張し
隣室に寝泊りしながら、王妃の要求にすぐさま応える
『王妃の看病役』を担ったとか。
この時、王妃は夫のルイとは
バルコニー越しで会話したそうです・・・。
![]() |
| 作者不明(?年) 「ハンス・アクセル・フォン・フェルセン」 (リンシェーピン・ロフスタッド城蔵) |
そして忘れちゃいけません!
フェルセン伯爵。
以上の人物は、王妃のプチ・トリアノン滞在時の様子を語る記述に
名前がよく出てくる人物ですので
出入りを自由に許された人物、
要はプチ・トリアノンの主要メンバーと考えて
まず間違いない人たちです。
その他、プチ・トリアノン出入りOK組に入った人物については
また次回にお話しますね!
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