すでに何度も申し上げている通り
マリー・アントワネットが
フランスへ輿入れするところから始まるのですが
今日のブログでは
オーストリアのウィーン宮廷時代のマリー・アントワネットについて
とりわけ彼女の音楽絡みのエピソードを
少しお話いたします!
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1755年11月2日、
父・神聖ローマ皇帝フランツ1世と
母・オーストリア女帝マリア・テレジアの15番目の子として
マリー・アントワネットはウィーンのホーフブルグ宮殿で誕生しました。
後に彼女は、ハープやクラヴサンといった楽器を奏で
音楽をこよなく愛したというお話は
「マリー・アントワネットの小劇場」のところで、すでにご紹介しましたが
この音楽好きの源は
どうやら生まれ育ったウィーン宮廷にあるようです。
彼女の教育は
父親と何名もの専門家たちが請け負ったそうですが
中でも音楽教育には
多くの時間を割いていたといわれています。
1758年10月5日、
母マリア・テレジアの企画した、自身の子供たちによる音楽会の舞台上で
まだ3歳にも満たないマリー・アントワネットは
フランス語の歌曲を披露したという記録があります。
おそらく、これが彼女にとって
初の音楽デビューではないでしょうか。
この音楽会での様子をG・Walterが語るところによれば
マリー・アントワネットは髪をきれいに結い上げ、白粉もしっかりはたき
パニエで広がったスカートのドレスを着て
幼いながらも、立派な貴婦人といった様相で歌を披露したそうです。
ただ、そんなゴージャスなドレスも、まだサイズが少々大きめだったのか
首がドレスの中に埋まってしまっていたとのことで
かわいらしい幼女マリー・アントワネットの微笑ましい姿が
想像できるというものですね!
W・A・モーツァルトの父、レオポルド・モーツァルトは
彼がしたためた手紙の中で
マリー・アントワネットは、偉大なる音楽家たちの演奏を聴きながら
幼少時代を送っていた・・・
という一節を書き残しているそうです。
実際、彼女は当時の大作曲家である
C・W・グルックの生徒だったことは有名ですね。
そしてもっと有名なのが
W・A・モーツァルトから結婚のプロポーズをされたというエピソード!
ただ、これは未だに「事実だ、事実ではない」の議論が健在で
ある日本人の作家さんがお書きになった
マリー・アントワネットの伝記本の中にも
この逸話は事実ではないだろう・・・との見解が載っていました。
まあ、実際のところはさて置き
改めてこのエピソードをご紹介しますと・・・
1762年(1763年という説も)、7歳(または6歳)のモーツァルト少年は
オーストリア女帝からの招待を受け、ウィーンのシェーンブルン宮殿にやって来ました。
宮殿内のサロンを、マリー・アントワネットと彼女の姉の一人と共に歩いていた時
モーツァルトはツルツルに磨かれた床の上で、図らずも滑って転んでしまいました。
マリー・アントワネットは彼を助け起こし
慰めの言葉(「大丈夫?」とか「痛くなかった?」程度の言葉でしょうが)を
かけてあげたといいます。
一緒にいたマリー・アントワネットの姉は
身動き一つせず、その様子を眺めているだけでした。
すると少年モーツァルトは
1歳年上のマリア・アントーニア大公女(マリー・アントワネットのこと)に向かって
「あなたは親切な人だ。私はあなたと結婚したい。」
と言ったというのです。
マリー・アントワネットがこの出来事を母に話すと
女帝はモーツァルトに
何故そのような考えを持ったのか教えて欲しいと言いました。
彼はその返答として
「彼女は私に親切でした。一方、彼女の姉君は
何も気にかけてはくれませんでしたが。」
と言ったといわれています。
このエピソードは、G・N・von・ニッセンが書いた
モーツァルトの伝記本の中に出てくる逸話だそうです。
ニッセンは、モーツァルト未亡人コンスタンツェと再婚した人物で
前述したモーツァルトの父、レオポルド・モーツァルトの手紙によって
このエピソードが事実であることを確認した、ということです。
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Franz Xaver Wagenschön画(1769年頃) 「スピネットを弾くマリア・アントーニア」 (ウィーン美術史美術館蔵) |