では早速、こちらから~
パリのカルナヴァレ美術館に展示されている
マリー・アントワネットの所有品です。左側が『爪の入れ物』と書いてあるので
爪のお手入れ道具のことかと思います。
緑色の部分が、エイや鮫などの軟骨魚類の革を使った外装で
中央の細密画は、デュプレシが描いた
マリー・アントワネットの騎乗姿です。
右側は見ての通り『ハサミ』ですね。
外装は同じく、軟骨魚類の革製です。
同じくカルナヴァレ美術館にある、マリー・アントワネットの部屋履きです。
ガラスケース越しに撮影してるので
見にくくてスミマセン。。
見た感じでは、22cmくらいの足のサイズかなぁ~・・・
こちらもカルナヴァレ美術館蔵。
マリー・アントワネットと王太子の髪の毛を収めた
メダイヨンです。
当時、こうして髪の毛をメダイヨンに入れて
ペンダントや指輪に付けたりしました。
マリー・アントワネットの髪の毛は
そうした「装飾品」となって
現代まで残っているものが幾つかあります。
かれこれ15年くらい前だったでしょうか。
私がまだ日本にいた時、東京の目黒にある美術館で
マリー・アントワネットの髪の毛が収められた
指輪の展示があると新聞で読み
友人と二人で見に出かけたことがあります。
最後、極めつけはコレ!マリー・アントワネットのトイレです^^
ヴェルサイユ宮殿の王妃の内殿にある浴室の
すぐ隣にあります。
この、箱に丸い穴の開いたトイレのスタイルは
マリー・アントワネットの時代よりもっと前の
中世時代あたりから存在していたようで
その頃にフランス国王が住んでいた
ロワール地方の古城なんかを訪れると
似たようなトイレが置いてあったりします。
ただ、こんなニス塗りされたピカピカのきれいなトイレなんかではなく
本当にただ、木の箱に穴を開けただけ、といった粗末なものですが。
マリー・アントワネット展で一番上の品を見ていました。
返信削除当時の図録を見ると左の物は裁縫ケースと説明が書いてありました。
本当は爪のお手入れ道具だったんですね、
ちょっとビックリしました。
ヴェルサイユの王妃の内殿にあるトイレは初めてみました。椅子型のトイレが多いのでこの様なトイレは珍しいのかなと思いました。
水洗トイレですか?
そうなんです。
返信削除私も以前、日本でマリー・アントワネットに関する
展示会を見に行った時に
この一番上の展示品があって
そこには日本語の説明で
「マリー・アントワネットの裁縫セット」
というふうに書いてあったような気がするんです。
なので、後にパリのカルナヴァレ美術館で
改めてこの品を見た時
フランス語で「爪の入れ物(Etui à ongles)」
と説明書きがあるのを見て
「あれ?これって裁縫道具じゃなかったの??」
と思ったのでした。
でもフランス語でonglesは
やはり爪の意味なんですよね。
念のため辞書も引いてみましたが
やはり爪に関する意味しかなく
裁縫にちなむ意味は見つけられませんでした。
(Etuiは「入れ物」「ケース」という意味です)
トイレは、一昔前のボッ○ン便所^^;みたいなもので
おそらく水洗ではないと思いますが・・・。(違うのカナ?)
あの穴から用を済ませ
箱の中にある汚物を
召使いが掃除するのだろうと勝手に思っていましたが^^;
因みに中世時代のこの手の箱型トイレは
箱の底の面がなくて
屋外に「垂れ流し!」するようになっているタイプを
見たことがあります^^;
当時の図録に「ケースには、鋏、螺鈿の柄のついた両刃の小刀、ひも通し、象牙の薄板2枚がおさめられている」
返信削除と書いてありました。
爪のお手入れ道具だったとは。
やはり爪のお手入れ道具って感じですね^^
返信削除オーストリアのマリアテレジアの夏の離宮に行った時に、ガイドさんが「当時はトイレがなかったから、そこらに垂れ流してた」って聞いて、衝撃だったんですが、マリーアントワネットの時にはできてたのですね?!
返信削除れーんさん、コメントありがとうございます!!
返信削除オーストリアのマリア・テレジアの夏の離宮というと
ベルヴェデーレ宮殿のことですかね?
ちょっとオーストリアの宮殿のことまでは
よくわからないのですが
ヴェルサイユ宮殿も、基本的にはトイレはなくて
庭の茂みで貴族たちは垂流してた・・・
という話を聞きます。
女性のスカートが膨らんでいるのは
そのままちょっと腰を屈めれば
用を足せるから・・・
なんて話も昔々に聞いたことがあるのですが
それは本当かどうか、ちょっと疑わしいですけれど^^;
いずれにしても
国王一家をはじめ
ヴェルサイユ宮殿に住んでいた者たちには
このようなトイレが各居殿にあったと思います。
本文中にも書いた通り
トイレというもの自体は
中世時代にはすでに存在してましたし
ルイ14世は自分が排泄するのも
特定の宮廷人の前で行ったそうで
(王が排泄するのも宮廷儀式の1つと考えたため)
その時にはもちろん、その辺に垂流したわけでなく
写真のようなものか、オマルのようなものか
今日の便器に値するものを使用したようですよ。
要は、公衆トイレというものが存在しなかったので
宮殿に伺候する貴族たちは、宮殿内でもよおしても
庭に出てその辺で済ませるしかなかったのだと思います。
そして自身の館に帰れば
ちゃんとトイレはあったのだと思います。